半ば脅されるように佐助は電車に乗った。
幸村に会いに行かないとあることないこと、いやあったからこそ人に知られると恥ずかしいことを学校中に言いふらすからな。と口にしたときのかすがの目は本気だった。
仕方なく買った片道の切符を財布にしまう。
片道だけでも、学生には馬鹿にならない金額である。それに不平を漏らしたら主のためなら金銭を惜しむな。とかすがにまた叱られた。

(これで会えなかったら笑えるな……)
流れていく景色を眺めながら、佐助は自嘲を浮かべた。そのほうが好都合だ、と思う自分がいたが、かすがにしっかりと彼の予定を確認されていたので、会えないということはないだろう。
かすがは前日に、“佐助のかつての主”の予定を確認する電話をいれ、佐助に伝えてきた。

休日は学校の剣道場で練習をしているらしい。
実質三年は引退しているが、進学先が決まった彼は自分の体を怠なせないよう、できる限り毎日道場に足を運んでいると聞いた。

それに、いつも槍の鍛錬ばかりしていた彼らしいと笑ってしまった。
強くなろうとするあまり、鍛錬を止めるのもひと苦労だった。
叱りつけて、館に縛りつける。落ち着きのない主に喝をいれ、体をきちんと休めないと意味がないと説教したっけ……

霧がかかったようなものが浮かびあがり、すぐ消えた。
あんなに毎日繰り返していたことなのに、自分があのときどんなことを思っていたのかまるで他人のことのように分からず、それがひどく哀しく、寂しかった。
過去は、過去でしかない。

今この体に刻まれた十五年という月日の記憶には勝てない。
生々しく残るのはこの体で生きてきた記憶と(それすらも薄れたものがあるのだけれど)、人殺しの絶望と後悔だ。

かけがえのない月日だったと思っても、言葉だけが虚しく空回りして、それに伴う感情が動かない。
大切なものだったはずなのに、ぞんざいに扱っている気がする。

それが、酷く申し訳ないと思った。

(旦那にあったら、まずなんていおうか?)

久しぶり? 会いたかった? ごめんなさい?

佐助は思わず、念入りにつぶしていた胸を抑える。手にあたるのは固い感触。それに、なんだかほっとしてしまう。

立ち姿は華奢で頼りないけれど、前世が男という先入観があるから少女だとはおもわないはずだ。
佐助は自分の性別を知られたくなかった。
それが、彼と合うための譲歩。
(俺だって気付かれなかったりして)
そちらのほうが好都合。この弱い自分が、猿飛佐助だと気付かないで。
ただ、通りすぎる数いる他人のひとりだと思ってほしい。
沈んだ気を落ち着かせるようにふうと息を吐く。臆病すぎるほど臆病な自分がおかしい。
他人にとってはどうでもいいと思えることにこだわってしまう。

両手の指を絡ませて、じっと前を見据える。不安で彷徨いそうになる視線を無理矢理一点だけ直視させる。
白いちいさな自分の手が少しだけ震えていた。

「とまれ」

組んでいた指を解き、ぎゅっと拳を握り押し付けるように膝に置いた。
ぱらぱらと離れた席に座る乗客は、佐助の奇行を目にも止めない。

辛いだけの時間が流れた。
このままずっと電車に乗っていたい。
会うのが嫌だ。
こんな、弱い自分を……
見せたくない。

佐助がどれだけ願おうと、電車は目的地に数分の誤差もなく目的地に到着する。

(田舎だ……)

無人駅に下りた感想はそのたったひとこと。
佐助たちが住んでいる地方都市も地味で都会という印象はないが、それよりも上を行く。
駅のホームを出る前から、緑の光景が一面に広がり視界を埋めつくされる。

駅のホームから出る。
古い舗装のアスファルトを踏みしめる。
じわりと鼻につく、草木の匂い。

ぽつぽつととおりすぎていく人は、なんだかみんな穏やかそうに見えた。

佐助と同じ年頃の少年や少女たちの一団がものしずかな場所に唯一にぎやかさを与える。
きっと部活の帰りなのだろう。

(あっちの方向に学校があるんだな)

かすがに渡された地図を見る。駅からは歩いて三十分ほどらしい。
方向感覚には自身があるから、すぐに着くだろう。

「行き違いになったりして……」

希望ばかりを並びたてる唇は、飽きずにそんなことばかり言う。

かすがとの脅しもあり、それさえなければ迷わず駅にもどっている。佐助は渋々学校に向かう。

ほどなくしてその姿が見えてきた。
学校から帰るものたちとは逆流して、高い場所に建つ学校を目指す。
坂を上る佐助を、すれ違うものたちが不思議そうに見ていた。首を少しだけ振り返させ、背中を見つめる。誰だろうとひそひそと耳打ちしあっていた。

橙色の髪は、中学生が髪を染めるようになった今の時代でも目立つから、ひとの好奇の視線を集める。

佐助は帽子を被ってくれば良かったと佐助は少し悔やんだ。
地元の学校では皆が見慣れているせいか、敬遠するような奇異の目で見ることはしなかった。

しかし、知らない土地ではそうはいかない。

日の光も強いし、日焼け避けするのも兼ねて、持ってくればよかったのに。
俺さまの馬鹿。

愚痴るように独り言を言って、すれちがう度に注目されながら道を行く。

部外者は立ち入り禁止だ、と言われたら即刻引き返そうと胸に秘めていたが、結局誰にも何も言われなかった。

しっとりと汗ばんだころにようやく中学校の校門に辿り着き、佐助は伝う汗を拭いた。

「剣道場は……」

佐助はうろうろと視線を彷徨わせる。
年期のある校舎の奥に、やけに綺麗な体育館がある。
立て直しでもしたのだろう。

校門をくぐっただけでは見付からない場所にあるのか。

このまま挙動不審に学校の敷地内を彷徨っていたら、不審者として捕まるだろうか。と佐助は少なからず危惧を覚えたので、堂々とすることにした。

しかし佐助の年齢では、不審者というより、生徒にしか見えないから、いらぬ心配ではある。

手入れされた花壇の脇を通りすぎる。
ツナギを着た用務員の壮年の男性に挨拶をすると、不思議そうな顔をされたが、彼はすぐに土に視線を戻した。

それ以降はひとに会わなかった。

生徒は昼で部活を切り上げ、教員は校舎で食事しているのだろう。

じわじわと照ってくる日の光に、また汗が流れる。

(ここが旦那の通っている学校か……)

胸がそわそわするが、不快な気はしない。
ゆっくりと琴線に触れてくるような感覚に、佐助は空を仰ぐ。

(空の色は、おんなじだ……)

違う学校。
自分の住むところとはまったく違う地域。

それでも、彼は同じ空の下にいる。

(この空を、旦那も見ていたのかな……)

不思議な感覚だった。
会ったことはないのに。
知らぬところで何かを共有している。

(ずっと会いたくないって思ってた……けど)

同じものを見ていた、ということがなんだかとても嬉しく思えた。

暖かくなる胸に手を当てる。潰した平らな胸の感触。

少しきつくて苦しいけど、旦那に会うためなら仕方ない。

心境の変化に、自分でも驚く。

先ほどまで会いたくないと思っていたのに、主のことを思うとどんどん会いたいという気持ちが増していく。

知らないうちに、同じものを見ているんじゃなくて、隣で同じものを見て、大切な思い出を一緒に作っていきたい。

そんな欲求が芽生え始める。

弱さを知られたくない。
女だって知られたくない。

でも、旦那には会いたい。

「はは。
俺さまってば、すげえ現金」

胸が騒ぐ。
耳に鳴り響く。
全身が落ち着かない。

「会いたい……」

この気持ちを、我慢できない。

佐助は、剣道場を必死になって探した。



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09.01 四既