四百年前は生まれかわりなんて信じていなかった。
ただ、この時を生きて、死ぬ。
大切な人のために、それ以外の人間を殺し、手を血に染めた。
ぬるりとした人の血。
被った、赤。その量。
忘れることなんて、出来ない。
今でも思い出せる、人々の断末魔。
苦悶の表情。
その全てに今自分が苦しもうと、逃れることは出来ない。
狂うことも出来ず、かつての罪に脅える。
四百年前の罪を責める者など、誰もいないのに。
亡霊すら現れない。
佐助が見るのは、何時だって幻だ。
自分自身が見せる、弱さの証のような幻だけだ。
責めているものが居るとしたら、それは自分自身。
きっと俺は、誰もが忘れ、知っている者は俺だけになった俺の罪を誰かに裁いて欲しいんだ。
だから、こんな記憶まで引きずって、時代も性別も変わっているのに"今"を生きている。
傍らを歩くかすがは、自分がひとを殺していたことまでは覚えていても、佐助ほど鮮明な記憶を持っていない。
自分が己の罪についてしか鮮明に思い出せないように、かすがもたったひとつのことしか鮮明に覚えていない。
色鮮やかなのは、己の全てを捨ててまで使えた、主君。
佐助の記憶の中にいるかつてのかすが。
慕うあまり、痛々しいほどに必死な姿を見せ、繊手に武器を握り、血まみれになってでも主を守っていた。
かすがについては、それ以上のことを思いだせない。
霞がかったように朧だった。
だが、それでもいい。
二人が同じ時代を生き、同じようにたったひとりの主のために必死に生きていたと分かっていれば。
それだけで、通じあえる。
死という衝撃では忘れられないものを心に抱え、生まれかわりという浄化ですら消せないものを魂に刻み。
それほどまでに強く心に残るものを抱いて生まれてきた、同志なのだ。
「酷いよね。ずっと一緒にいた主のことを、よく思い出せないんだ」
あの人は、俺という闇を照らしてくれる、唯一の光だった。
あの時代の俺の唯一の救いだった。
それなのに、思い出せない。
光輝くひとだった。
よく笑うひとだった。
言葉では思い出せるのに、映像が浮かびあがってこない。
あのひとのことを思い出そうとすると、一度暗記した文章をそらんじているだけで、まったく身のない話をしているような気分になる。
俺が弱いのは、あの人をきちんと思い出せないせいなのだろうか。
(あの時代の俺が泣かなかったのは、強くならなきゃならない理由があったからなのかな……)
自分や、戦国という世が、弱い人間をゆるさなかった。
強くなければ生きていけなかった。
泣いている暇なんてなかった。
すべては主のために。
(今、俺が生きている世界は……)
やさしくて残酷だ。
泣いてもいい、と許してしまう。
自分の弱さを肯定してしまう。
唯一無二の主に会うことが出来たら、そんな自分を変えることができるのだろうか?
(会いたい。
会いたい……
でも、やっぱり……
会いたくない)
こんな自分の姿を見せたくない。
女性になった自分を見られたくない。
泣いてばかりいる自分の弱さを知られたくない。
「かすがはさ、会いたい?」
「謙信さまとか?そんなの当然だ」
わかりきったことを聞くな。
憮然とした態度で頷く。
「そっか……」
「お前は会いたくないのか?」
かすがの問いに佐助は逡巡する。
佐助は硝子窓に映る己の姿を見つめる。
透明な硝子に映されたのは、まごうことなき、少女の姿。
昔の自分とはまったく違う。頼りない、弱い、少女の姿だ。
こんな姿で、会いたくない……
「旦那は女の子が苦手だから、嫌われちゃいそうだよね」
佐助は自分の答えを誤魔化した。
かすがは偽らずに自分の本音を告げている。
嘘も本音も言えない自分は、卑怯だった。
かすがはそれ以上深く問うことはなく、同じように硝子窓を見つめた。
正確には、硝子を透かして見える外の風景を。
人々がひしめき、流れていく。
その人の多さに、ざわめきが聞こえてくる錯覚をした。
「かすが、そう言えば話ってなんなの?」
佐助は呼び出され、わざわざ喫茶店まで来た理由をまだ聞いていなかった。
生徒手帳には、学生は保護者の付き添いなしで喫茶店には入れない校則となって
いるが、守るものなんて少ない。
「進学についてだ。それと、先ほどのことが関係ある」
佐助とかすがは中学三年、進学を控えていた。
第一期試験ではふたりとも見事に落ち、次の受験のために必死に勉強していた。
願書をそろそろ出さなければならないが、一期試験で落ちたところをもう一度受かる気にはなれず、次に受ける学校を決めあぐねいていた。
教師たちは将来につい考えさいというけれど、まだたった十五年しか生きていないのに、将来についてなんてなかなか考えられなかった。
昔とはまったく違う。
戦国の時代は忍として生きていくことを定められたが、今は自分で自分の進む道を決めなければならない。
クラスのなかには親がごり押しする道を無理矢理進ませられる者もいるが、佐助は親が期待するほどよい成績をとっていなかったから、勉強しろとはよく言われるが、自分の進学先に深くは口を挟まれない。
「進学が?どう関係あるの?」
佐助はかすがの言いたいことが分からず、首を傾げる。
かすがは鋭利な刃のような目で佐助を見据える。
「今年の中体連の剣道の団体戦優勝校に、お前の主がいるぞ」
その瞬間、呼吸が止まった。
その言葉が、やけに耳の中で反響する。
逃げるように決して探そうとしなかった主の存在を、かすがが見付けてしまった。
「そいつは個人戦でも準優勝して、かなりの数の高校から引く手幾手らしい。
進学する高校も決まったそうだ。
スポーツ推薦を蹴って、剣道ではあまり有名ではない高校に、一期で合格したと聞いた」
まったくもったいない。
かすがは一期試験で落ちているから、せっかくの推薦を蹴ったというのが心情的に許せないのだろう。
「私は、その学校を受ける」
かすがは、男になっても、一人称は私を使う。
かすがは美少年然としているから、あまり違和感がない。
「……謙信公がいるのか?」
「そうだ」
佐助はそれに納得する。
「お前は、どうする?」
真剣な目で問う。
誤魔化すな、と。
今度こそ言え、と。
つきつけてくる鋭さに、胸が痛くなる。
「考えさせてくれ……」
会いたくない。
でも、会いたい、という気持ちが全くないと言ったら嘘になる。
結論なんて、すぐに出せない。
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