ただのバカ話
「忍なら縄抜けが得意なのだろう?」
何処で知識を手に入れてきたのか、幸村は目を輝かせて佐助に問うた。
今年十四になり元服を間近に備えている主は、まるでぱちぱちとはぜる火花のように落ち着かない性格している。
改めろと口を酸っぱくして言っているのだが、聞き届けるつもりはないらしい。
今日もまた忍隊の誰かに聞き及んだのか、ご丁寧に縄まで準備して佐助に尋ねてきた。
どうせなら他の忍を捕まえて聞けばいいのに……特に才蔵とか……と佐助は内心毒付く。
それはおくびにも出さず、
「人によりますね」
にっこりと笑顔で答えた。
「佐助は得意なのか?」
「まあ、それなりには」
幸村はふうんと頷く。
佐助はそんな幸村から視線を外し、げんなりと肩を落とす。
佐助の気も知らずに庭師により整えられた庭で悠々としている鳥が憎らしい。
忍隊の宿舎に戻れば、仕事はまだ残っている。(まあ、急ぎの仕事というわけでもないのだが)
ここで幸村のくだらない疑問に付き合ってやる暇はない。
廊下の先はすぐに忍隊の宿舎なのだが、具合の悪いときに捕まってしまった。
幸村は佐助に対し我が儘なところがあるが、忍の仕事は邪魔していけないと父昌幸に言われているので、宿舎までは何か余程のことでもない限り足を踏み入れない。
自分が一寸遅かったせいで、と悔やんでも悔やみきれない。
あともう少し早く宿舎に入っていれば幸村に捕まることはなかったのに。
幸村のならば、と続く言葉は佐助が予想していた通りのものであった。
「ならば、見せてくれ。佐助の縄抜けが見てみたい」
何にでも興味を持つのはいいことだ。
その好奇心旺盛な探求心がひとを成長させる知識を身につかせる。
しかし、縄抜けの知識なぞいらぬだろう……
いや、愛すべき主どのはたまに町に訪れる旅芸人の披露する芸のように、忍の縄抜けが見たいのかもしれない。
要は、暇なのか。
(暇だからって俺を巻き込むなよなあ)
泣きごとのように呟き、はいはいとやる気なく頷いた。
廊下で縛られるのは流石に恥ずかしいので、佐助は近くにあった部屋に入り幸村に両手を差し出した。
さっさと結ばせてほどいて終わろう。
縄抜けの技を披露すれば幸村は満足して己を解放してくれるだろうと佐助は思ったのだが、それは甘い考えだった。
幸村は荒縄で手加減なくぎちぎちと佐助の両手首を封じる。
戯れだとばかり思っていたのに容赦なく与えてくる痛みに、佐助は顔をしかめた。
「あのさあ、旦那。痛いんだけど」
「加減などしてはあっさりと抜かれてしまうだろう。それでは悔しいではないか」
「痕残るんだけどさあ」
結びやすいようにと小手をとって手を差し出したのが最初の間違いか、と佐助はため息をついた。
よし、旦那にいらぬ知識をつけたものを後で制裁を与えに行こう。
佐助の迷惑と苦痛など構いなしに、幸村は成し遂げた喜びで晴れやかな笑みを浮かべる。
これなら佐助でも縄抜けできないだろう。
そんな自信たっぷりな笑みである。
どうやら縄抜けを見たいというのは建前で、忍である佐助が縄抜けできないように結ぶのが目的らしかった。
「旦那、誰かにそそのかされた?」
幸村は、ん?と幼い顔に悪戯っぽいものを混じらせて、悪びれず答える。
「才蔵が、佐助が縄抜けできなかったら、俺のために団子を買ってきてくれると言ったのでな。遠くの任務に行く先に、上手い団子屋があるそうなのだ」
今から楽しみなのか、頬が緩み赤くなっている。
「あーものでつられたか」
効果は覿面(てきめん)だな。
佐助は呆れたように肩を落とした。次の瞬間掛け声もなくするりと縄から抜けていた。
「あ」
幸村は目を丸めて、自由になった佐助の両手と落ちた縄を見つめている。
ぱちぱちと瞬きを幾度かして、酷いぞと唇を尖らせて佐助を責めた。
「佐助は俺に団子を食わせたくないのか?」
「最初に縄抜けを見たいって言ったのは旦那でしょ」
これ以上構っていられないと佐助は颯爽と背を向ける。
「佐助、まだ駄目だ!」
才蔵が買ってくる団子が惜しいのか、幸村は諦めない。
幸村は落ちた縄を拾い、両手に巻き付けびしっと縄を張る。
見ようによっては危ない行為でも始めそうに見える。
いやらしいことを連想してしまう想像力豊かな自分の脳が悪いのか、はたまた縄を持ち佐助を縛ろうと息巻く幸村が悪いのか……
佐助にはいけない趣味に走る片鱗を見せ付けられている気がして、幸村から縄を離すために、幸村を納得させるための言葉を探す。
(俺の心配を口にしたら、破廉恥だって旦那に怒られそうだなあ)
思いすごしというか、縄ひとつでそこまで連想してしまう頭がおかしいのだろう。
幸村には全く他意はない。
ただ純粋に団子を食べたいがために縄を持っている。
(夜のそういう趣味に旦那が走るわけでもないんだけど)
どうにも自分は幸村に縄を離してもらいたくて仕方ない。
佐助は危ない趣味に走る気も、子供の頃から面倒を見ていた主を危ない趣味に走らせる気もない。
「団子なら俺が買ってくるからいいでしょ?」
「いやだ。才蔵が買ってくる団子が食いたいのだ」
幸村はいつもならそれで納得するのだが、今回は首を横に振った。
佐助はそれに見過ごせない痛みと違和感を覚える。喉に小骨がひっかかったような感覚。
目の前が一瞬歪む。
「……ふうん。俺より才蔵のほうがいいんだ」
ぐつぐつと腸が煮えくり返る。幸村が特に気にせず言った言葉を飲み込むことができない。
「佐助?」
呟くように口にした佐助の言葉が聞こえず、なんと言ったのかわからないので首を傾げた。
佐助は不思議そうな顔をしている幸村に、にっこりとした晴れやかな、しかし凄みのある笑みを向ける。
「いいよ。旦那の気がすむまで付き合ってあげる」
幸村には決して見せたことのない忍の不敵な笑みに、幸村は一瞬飲まれそうになって唾を飲んだ。
しかし、団子を手にするための好機を得ることが出来た喜びに、すぐに笑みを浮かべる。
こちらは幼けな子供のように無垢なものだ。
その笑みでびしっと張った縄を両手に構えているのは、かなり異様な光景だったが……
「むう」
幸村はまたか、と眉をしかめた。
幸村がどれだけきつく縛っても佐助は簡単にするすると縄をほどいてしまう。
おかげで佐助の両手首は、痛々しい縄の痕がくっきりと残る酷い有り様となっていた。
もとの肌の色が白いから、縄の痕がよく目立つ。
しかし幸村は佐助に残る痕よりも団子……最早そのことすら忘れて意地になっているようだった。縄の痕も目に入らないしい。
肌に蛇がうねり這うように残る痕など、忍の佐助にとっては対して気にすることでもない。
肌の美しさを逐一気にするくノ一や、南の海賊の頭領でもあるまいし、と。
佐助は思考は自分自身の体についてもおざなりに処理し、絶対に幸村の思う通りにさせてやるか、とそればかりを胸に秘めて忍にしては珍しいほど熱く燃える。
「どう?諦めた?」
佐助は片方の唇の端だけを持ち上げて笑ってみせる。幸村を馬鹿にするそれに、まだだ!と声を荒げ、
「一本だから駄目なのだ!」
もう一本縄を持って来ると告げて、一旦部屋の外に出て行った。
ぱたぱたと落ち着きのない足音が去っていく。向かっていく方向からすると忍隊の宿舎だ。
幸村の部屋には縄などないから、そちらに取りに行ったのだろう。
佐助はふん、と鼻を鳴らす。どんな風に体を結ばれようとも、素人の幸村がするものに、遅れを取るとは思えない。
何本でも持ってきて、好きなだけ挑戦し、その数だけ負ければいいさ。
佐助は自信たっぷりに、内心で幸村を挑発する台詞を吐く。
口に出さないのは忍の立場故、か。
一応主に対する敬意は今だ佐助の中にあるらしい。
それがとてもちいさなものだとしても。
「なんだよ……才蔵が買ってくる団子のほうがいいって」
佐助は胸につっかえるものを吐き出す。
「いっつも俺に買わせに行ってるくせに……」
俺が買ってくる団子になにか文句でもあるのか。不満でもあるのか。だったら最初から買って来いなんて言うなっ!
「腹立つなあ、……もう」
腹腔奥深くから迫り上がってくるどろどろしたものは怒りだけではなく、痛みを伴った。じくじくと胸を苛み、佐助を攻めたててくる。
それに余計、佐助は不機嫌になる。
忍が主に怒りを向けるなんて不敬もいいところだ。
忍の資格なんてない。
けれど佐助は、不均等(アンバランス)に揺れ動く心に胸が絞めつけられ、なんでこんなに苦しまなくてはならないのか分からず、その苦しさの原因である幸村に、少なからず憎しみが沸く。
だが、胸を苦く甘くかすめるのは憎しみだけではない。正体の見えないものが胸を高く鳴らし、脈動させ、生き生きと弾ませる。
ぎゅっと締め付けらる苦しさと堪えていたものを解放される心地良さを同時に与えてくるそれの名を、佐助は知らない。
(理不尽だ)
なんで旦那はあんなに愉しげで、俺は苦しまなければならないんだ。
自分よりずっと年下の主が恨めしく、体どころか心まで振り回してくる幸村に佐助は悔しくて唇を噛む。
主従という関係で、望む望まないにも関わらず幸村の命じるままに動かなければならないことは理解している。
しかしそれは技を使う肉体だけでいいはずなのに、本来なら主従には関係ない動かさなくてもいい心まで、幸村の言葉ひとつで佐助が制御出来ないくらいに揺り動く。
それが悔しい。
それに何より、幸村が全くそれに気付いてないことが悔しい。
(絶対に団子なんて食べさせてやらないからな!)
佐助は心に誓った。
戻ってきた幸村は縄、だけではなく忍まで引き連れていた。
「……ちょ、旦那……」
幸村はなりふり構わないらしい。
「それは卑怯じゃないか」
「まあまあ、長。抑えて抑えて。一流の忍と幸村さまじゃあ、幸村さまが不利なのは目に見えてるでしょ?」
十勇士のひとり、望月六郎は慣れ慣れしく笑い、幸村がせっせと縄を縛っているところに助言をする。
佐助が有無を下す前に動かれ、卑怯だ、とうめくしかなかった。
両手を後ろで縛られ、そのうえで上半身を腕ごと縛られる。
肌を痛めつける荒縄の感触と、幸村の腕力と重なり、佐助は顔をしかめる。
六郎が脇から指示するだけあって、なかなか逃げにくい。
しかし、なりふり構わなければ、逃げられないわけではない。
佐助はくす、と笑ってみせる。
六郎は、佐助が幸村の遊びに付き合っていると、その程度にしか思っていないのだろう。
だから、多少の苦痛を犠牲にしてでも縄から抜けてやるという佐助の決意を、知らない。
これも俺の勝ちだな。
いつの間にか勝負になっている。
「長、逃げられますか?」
しっかりと縛りつけたことを確認し、六郎は得意そうに問うた。
「今度こそ逃げられまい」
幸村は自信たっぷりの笑みを見せる。
これなら縄抜けできまいと、二人は信じて疑っていない。
「……ふ」
「降参か、佐助?」
「参りましたか長」
同時に問う二人への答えは、ゴキ、と低く体内から響いてくるなんとも不快な音。
六郎の顔が目に見えて青くなった。
「お、おさあっっ!?あんた普通そこまでやりますか!?」
めき、ぼき。
不穏な音が響く度に六郎はひいひいと悲鳴をあげた。
「痛いぃっ痛いぃっ」
別に六郎は痛くないのだが、聞いているだけで自分の関節がみしみしと悲鳴をあげてくる気がして、六郎は佐助から聞こえてくる音を被い隠すように絶叫し、耳を塞いだ。
佐助の動きを封じていた縄が、畳に落ちる。
六郎が叫ぶのをやめると、部屋はしんとして、嫌な静寂に包まれた。
六郎は目に涙をため、それを横目で捉え、幸村は目をそらすことなく佐助を見つめていた。
六郎がそっと幸村に視線を移すと、少年の表情は驚愕に固まっていた。
そりゃあそうだ、と六郎は心の中で納得する。
佐助の上半身は、縄から抜け自由になっていた。
だが、両腕はまるで軟体生物のように不気味にだらりと肩から垂れ下がっており、それにも増して苦悶に油汗を浮かべる佐助の姿に飲まれて、六郎はごくりと唾を飲む。
なんで子供の遊びにそんなにむきになるかなあ!?
六郎は呆れと怒りと共に叫んだ。
……心の中で。
後編を見てみる。
四既