愚かものの恋 2.5
幸村の中で、彼が上司であるとか尊敬する方の孫だとかという、佐助に付属して付いてくる名称は最早どうでもいいものになっていた。
佐助が自分の上司だから側に控えるのではなく、佐助が尊敬する方の孫だから守りたいのではなく、自分の中から沸きあがってくるもっと根本的なものが幸村を揺り動かす。
「あいつの下にいても、このままじゃ先は見えてるぜ?」
同じ時期に軍に入隊した政宗は、短期間で佐助と同じ地位である少佐にまで登りつめていた。
各地で頻発するクーデターや軍の反抗勢力の制圧など着実に実績を積み上げていく。
佐助よりも上の地位になるのはそう遠い話ではないだろう。
彼は、言外に自分の下に付く気はないか、と幸村を誘っていた。
それは幸村に対する同情というよりも、軍入隊当初からライバル視しあい、互いを磨いてきた存在が低い地位にいるのが気に入らないという子供じみた単純な理由である。
幸村は准尉で終わるような人間ではないと誰よりも思っているのがこの男だ。
その実力は戦闘で発揮させるべきであり、書類を整理するだけの仕事でその才能を埋もれさせていいわけがないと考えていた。
佐助が幸村にとってただの上司でしかなければ幸村は政宗の誘いに揺らいでいたのかもしれない。
「某は猿飛少佐の副官だ。あのひとの側にいて、この地位で終わるのは、それはそれでいいと思っている」
幸村の答えに迷いはなかった。
静かな決意を称えた瞳は強い意思をありありと感じられる。幸村にとって佐助は全てであり、他の何にも換えがたいのだ。
軍で高い地位を掌握することは佐助のために必要であると考えているが、政宗の下に行ってまでしなければならないことではない。
幸村には幸村の考えがあるのだが、政宗には臆病風を吹かしているようにしか聞こえなかった。
幸村を侮るように目に暗いものが宿り、僅かばかり怒りがまじる。
「……んだよ。幸村。お前、怖じけづいたのか?
戦うのが怖いのかよ。
っHA!あいつの下にいりゃあ戦いに出なくてすむもんなあ。
口先だけのやつにはいはい頭を下げていれば自分の安全が保証されるもんな。やめられねえよな」
政宗の怒りは真っ直ぐに幸村にぶつかる。毒を吐く唇は苛立たしげで、幸村を睨んでくる隻眼は裏切られたことに対する憎しみに染まっていた。
政宗にとって、"先"を目指さないことは裏切りなのだ。
全てにおいて競いあい、向上できる。それにより自分をもっと強くさせてくれる存在が、戦うことも今よりも上を目指すことをやめてしまった。
それは自分ともう戦う気はないという意思表示であるように政宗には思えたのだ。
「俺のことはいいが、少佐のことを悪く言うな。あの人はお前が思っているようなひとではない」
幸村もまた、政宗のことばに怒る。
政宗が憤っていることは伝わっても、その理由までわからない。
佐助を侮る台詞に何もしらないくせにと腹を立て、睨みつけた。
「ふん。すっかり骨抜かれちまって。昔はもっと気骨があるやつだと思っていたんだがな!」
大袈裟に落胆を示す。二人の口論に周囲も気付き始め、ぽつりぽつりと人垣を作っていった。一定の距離をおき興味深げに眺めてくる野次馬は、囃したてるわけでもなく、ぽつぽつと会話している。
『あいつ、誰だ……?』
『かたっぽは噂の片目くんだろ?ドクガンリューだっけ?』
『生意気なんだよな。あいつ……』
二人にとってその会話ははっきりと聞こえない雑音のようなものであるから、棘を含むその陰口を気にしなかった。
今は目前にいる相手しか目に入らない。
「今も昔も某は変わらない。ただ、大切なひとを見つけただけだ」
迷いない言葉に、政宗はさらに表情を歪める。血筋が浮きそうなほどの怒りが、政宗を包み込み、周囲を圧倒する。幸村はそれに物怖じすることなく政宗に対峙し、彼を真っ向から睨みつける。
「んなの、言い訳にしか聞こえねえぜ?」
力ある隻眼が幸村を見据える。
幸村がさらに反論しようとしたとき、周囲が無視できないほどざわめいた。
ふたりを取り囲んでいた人垣が割れる。現れたふたつの影に政宗と幸村は同時に息を飲んだ。
「なにをしているのですか政宗さま」
「真田准尉。仕事に戻ってこないと思ったらなに油売ってるの?」
気迫のあるふたりのそれぞれの部下と上司が、鋭い眼光で射抜いてくる。
政宗にとっては幸村より、幸村にとっては政宗より、二人の態度は背中に冷や汗が伝う怖さというか動揺をもたらすもので、背を向けて逃げ出したくなった。
戦場では勇猛果敢と周りに称賛される政宗であっても、己の部下の叱責だけは立ち向かう気にはなれないらしく、既に腰が引いていた。
その様子に政宗をよく知るものたちは馴染みの光景に失笑し、戦場での活躍しか知らぬものたちは目を丸めている。
幸村は二人の姿を、恐妻に仕事をさぼっているところを見付かった夫のようだな、とひとごとのように思った。
その、現実逃避をしている最中に佐助が幸村の目の前に来て、艶めいた瞳で誘いかけるように見上げる。それと幸村は目を合わせ、ふと脳裏によぎった嫌な予感に、ごくんと唾を飲んだ。
人をからかい見下すような目をするときの佐助は、大抵ろくでもないことを考えていると、身に染みてしまっているからだ。
「真田准尉」
「はい」
幸村はぴしりと緊張して、背筋を伸ばす。
「今日の甘味はなしね」
佐助はにっこりとわらった。
唯一無ニの存在であり、幸村が今まで生きてきた人生の中で最も慕わしいと思った人物は、幸村の嘆きや悲鳴など気にもとめず、人の楽しみを軽々と奪い、軽やかな表情をしている。
仕事にもどるよ、と翻された背中に幸村はがっくりと肩を落とした。
思いがけずギャグになった。
2007.07.05
四既