挙句の果てに 


佐助はずきんと痛みを訴える胸に少しだけ柳眉を顰めた。
それは時を増すごとに佐助を苛み、忘却することで現状から逃避しようとする、言わば自己救済を阻害する。
佐助は結局、逃れられぬ現実を夢も幻も見ることも出来ず、待つことになる。
例えるならそれは、死が確定した病魔だ。死という結末が待つことを一時も忘れることが出来ず、来るということを確認しながら逃げられずただ待たなければならない。

――あれ、が帰ってくる。

そう思うだけで、堪えていたものが溢れだしたように胸にさらなる痛みが走り――後孔がいやらしく収縮した。
佐助という個人が否定され、ただ、性欲処理の道具に成り下がる行為を強いられるその成れの果てが、あれのことを思うだけで反応してしまうこの体だ。
あれにとっては喜ばしいことでも、佐助にとっては自分という存在の抹消理由でしかない。
肉体的な力量の差では明らかに敵わず、彼を屈服させるための発言力も持たず、自分を守るための後ろ立てもない。
かつて従順に自分に従っていた部下は豹変し、暴君として君臨する。佐助の体を思うがままに蹂躙しては、肉食獣が獲物食い荒らすかのように佐助を責め立てる。

背筋をひた走るのは、冷たい嫌悪感。ざわざわと肌が泡立つのは、拒絶感からななのか期待からななのか自分でもよく分からない。
最早体は己のものではないようにざわめいている。
自分が本当に男という性として生まれ落ちたのか分からなくなる、あれ、の自分の扱いに乾いた笑い声が漏れた。
どれだけ嫌悪しようと拒絶しようと疑問を持とうと、自分の体は既にあれのものになっているのだ。

あれ、が言うには、体だけは正直らしい。
だったらこれは、期待なのだろう。
今更どれだけ取りつくろうとあれにもてあそばれたこの体は、隅々まで余すことなくあれのものなのだ。
否定しようとしたって、あれが触れれば自分の意思などおかまいなしに感じて自我を奪うほどの熱を持ち、狂ったようにあれを求めるのだ。

いっそ、死んでしまったほうがいいのでは……
そう、思うときがある。
けれどそれすら出来ぬのは……理性や感情といったものも、あれに侵されきっている証拠なのかもしれない。

だから、誰か、と……
他力本願に殺してくれればいいのに、俺は抵抗もしないし逃げもしない。首を絞めるなら静かに目を閉じるし首や手首を掻き切るならその刃を静かに受けいれよう。

人としての誇りがあるうちに。
男としての誇りがあるうちに。
猿飛佐助としての誇りがあるうちに。

誇りというよりも、自負、か。
人として男として猿飛佐助としてたらしめる、自負。

このままあれのされるがままになれば、きっと自分は思考も感情も忘れて、あれのいいようになる人形になるのだろう。

****

螺子仕掛けの置き時計の針が、二の数を指してしばらくがたってから。
廊下がざわめき、祝福と喜びに浮きたつ声が佐助がいる部屋まで響いた。
かつて副官であった男が自分のもとから離れていってから、この部屋はただひとり、佐助だけの仕事場となった。
その静けさを壊す賑やかさに佐助は深く息を吸い、吐いた。
薄く開いた瞳には、諦めともつく覚悟が浮かんでいた。
書きかけだった書類や机に広げたままの資料を引き出しに素早くしまう。インクの蓋を閉め、ペンとともに片付ける。

ノックもなくドアノブに手がかかりがちゃと回す音が佐助の耳に届いた。
組んだ手の上に顎を置き、部屋に入ってくる人間になるべく余裕のある様子を見せようとゆったりとした笑みを口元に刻んだ。
決して、彼を求めて体が寸前まで疼いていたことも、それへの嫌悪で死を望んでいたことも、悟られてはならない。

それが佐助の矜恃であり、残された自我のかけらのようなものだ。それすらも見透かされ白日のもとへ暴かれるというのなら、俺という自我はもう存在する意味すらない。

崩壊して人形にでもなる。思うようにされ、好きなようにされ、見透かされるのは体だ。
感情や理性や心といった目には見えない触れることができないもの。それが相手の掌にではなく自分の掌にあるように。

全てをあれのものにされるなんて真っ平だ。

たとえそれが徐々に、体があれの与える痛みをやがて快楽と捉えていくように、自分の精神を蝕み、占領し奪っていっているとしても。
それを当たりまえのように受け止めてそうれることに狂うような悦楽と泣きたくなるような安堵があるとしても。

最後まで自分だけが掴んでいたいものはあるのだ。

開いた扉から現れたのは予想通りの人物。茶色の髪に、茶色の瞳の、幼さをなくした元副官であった男。

「おかえり、真田大佐。長期軍務ご苦労様」

冷たい瞳が佐助を見据える。かつての暖かさと人なつこさを失った瞳に、佐助はもう慣れてしまっていた。
無くしたものを埋めるように佐助を求めてくるただただ横暴な光に怯みもせず、むしろ早く自分の体を貪って欲しいという衝動に耐えて佐助は幸村を見つめる。

「ただいま……と言いたいところですが猿飛"少佐"」

諮るように尋ねてくる幸村に、佐助は笑みを溢しそうになり自重した。分かっていてわざと挑発していると気付かれてはならない。

「それが上官に対する口のききかたですか?」

同じく問い返してみようか、それが下官に対する口のききかたですか? と。でも、同じ台詞を聞かされるだけのことだ。
尊敬する方の孫であるあなたに敬意を払うのは当然です、と。
用意された答えに佐助が納得することはない。

「これは失礼いたしました。真田大佐」

からかうように言葉遣いを丁寧なものにする。
それを自分の意地と取ってほしいと思う。幸村に攻め入られる理由を作っていると悟られてはならない。

「……学習しない方だ。貴方は……」

かつかつと長靴を慣らし幸村は佐助の側に歩み寄る。うっすらと浮かぶのは下官に侮られた怒りではなく、これから行うことへの理由が出来た喜びだ。

「……近寄るな」

警戒と脅え。子犬が牙を剥くように佐助は幸村を睨みつける。こうすると幸村の嗜虐心に火が付くのか、いよいよ彼に歯止めがきかなくなった。

上手くいった、と内心ほくそ笑んでいる自分に吐き気がした。
他人に頼むのではなく自分で腹を切ったほうがいいのではないかと心底思った。
性欲処理に利用しているのがどちらなのか分かりやしない。

体が汚れたなど今更だし、男が言うのはあまりにも女々しい。
だが、心だけはこんなにも堕ちたくなかった。男を求める体に引きずられるように浅ましくて醜いものになっていくのを感じたくなかった。

幸村が軍から離れていた時に、望んで男に足を開いたのは一度や二度ではない。
客観的に見て、なるべく自分が被害者に見えるように、抱いた男があたかも我慢しきれず自身を襲ったように。
そんなことを冷静に計算して、行った自分。
最早、女性を抱くという行為では満たせなくなった性欲。
自分から男を求めて貶めたくないくて、言い訳が聞くように相手の男を填めた。
言い訳は誰にするか?
そんなの自分自身に決まっている。
自分から求めたのではない。
相手が襲ってきたのだ。自分が被害者なのだと。
自覚している時点で無意味な思いこみ。
けれど何も策を講じないより少しだけ己が救われる。
そして、これほどのことまでして、やはり幸村でないと満たされない、と冷めた頭で思った自分は、あまりにも救いようがない。
自分の心だけは綺麗なままでありたいなど、だいそれた願いだ。一生叶わない夢のようなものだ。

これは体だけでなく心まで堕ちた証拠なのだろう。

きっとこの体を裂いてその中にあるのは真っ黒な欲にまみれた見苦しい塊だろう。
それがきっと、心というやつなのだ。

自分が守りたいと思った綺麗なものを見失いそうになる。
それはちっぽけでちいさな小石のようなひとかけら。
でも、自分の中に、確かにそれがあるのだ。

誰にも踏み入られたくない……聖域のような最後の砦が。

覆い被さってくる逞しい体に表向きだけ抵抗して、佐助は体を委ねた。幸村は椅子に座る体を横から抱き締めて、両手首を封じる。
佐助は離せと声を荒げて幸村を睨みつけた。

ああ早く早く……
急く気持ちを抑えつける。

少しでも求めるそぶりなど見せてはならない。
彼は嫌味なほど賢い男だから、そこから、自分がどれだけ男に貪欲なのか知られてしまう。
吐気がするほどのおぞましい性欲に振り回される馬鹿な男の姿など見せてはならない。
その男が唯一、心の支えにしているものがなにであるか、など……

乾いた唇同士が触れ合う。ほんのりと佐助の鼻を擽る幸村の汗と埃と……血のにおい。これが真田幸村という男を構成するにおいなのだと思うと、沸き立つような興奮が佐助の胸を跳ねさせる。
ああ、この男は人を殺してきたのだな。ただ当たりまえのように受け入れ理解し、そして殺人者の手の内にあるという恐怖にぞくりとする。
心地良い寒気は佐助の中にある自殺願望を甘く刺激する。いっそのこと誰かなんて言わずに幸村が殺してくれればいいのに。頭を霞めるそれにうっとりと目を閉じ、偽りの抵抗すら辞め幸村に身を委ねた。

自分をこのような体にしたのは幸村なのだ。責任を取れとその台詞を突きつけたい。

そんなに俺の虜になったのか?と愉快そうに笑う声が落ちてきそうだから、理性あるうちは絶対に口にしないのだろうけれど。
睦言にのせて告げてしまいそうで、それだけが心配だ。

幸村の唇が角度を変え、向きを変えてしつこく口を吸う。それにすら、もの足りなさを覚えて、自ら舌を絡めそうになる。

くらくらするくらい激しくして欲しい。
どうなったっていいから。

満たしてよ。
早く……

焦らすなよ……
この意地悪。

「ん……」

ようやく佐助の唇を割り口腔を犯してきた。
佐助の舌に触れては、離れて。歯列を少しなぞれば、離れて。もどかしく快感を与えて、波に浚われるように意識を飛ばしたい佐助をからかうように、寸前のところで逃げていく。

佐助はたまらず自分から舌を動かし、幸村の舌を追いかけた。

「……!」

自分から動いてしまったことにすぐに後悔した。今まで佐助は幸村のしてくる行為を甘受していただけだった。
口付けも貪りたいのをこらえ、されるがままだった。
得たい快感を得られないもどかしさからつい自分から求めてしまうなんで、あまりにも愚かだ。たった少しの我慢も出来なくて幸村の施す愛撫が欲しくてたまらなくて、少し焦らされただけで箍が外れる。

またじらされたら決定的なボロが出る。

このままじゃ、覆い隠していたもの全て幸村に知られるのも時間の問題だ。

いやだ。
それだけは、絶対に……

佐助は幸村から逃れたくて、暴れる。しかし幸村が封じる腕はびくともしない。
唇だけから逃れようと顔をそらしたが、今まで手首をつかんでいた手が乱暴に後頭部にそえられた。
空いた手を己と幸村の間に滑りこませ、幸村を押し退けるが、強く引っ張られ椅子から引きずり下ろされ床に押し倒された。
両手を片手で床に縫い付けられる。
口腔を犯される快楽に酔いまた、己から舌を絡めてしまう。
最早逃げることの出来ない快感という魔手が佐助を支配し、つきうごかした。

逃げなければ……
全てを暴かれる前に幸村の前から消えなければ。

警鐘が聞こえるのに、体はただひたすらに幸村を求めて、獣の欲望に従った。


2007.08.01 四既