愚かものの恋 3-1


ざわめきと共に通されたのは臨時に作られた会議室。布のテント張りの建物に上司と共に通された幸村は、入り口に足をふみいれた瞬間に顔をしかめた。

テントの中は空気がよどみ、不快なものがまとわりつく。立っているだけでじんわりと汗が滲む暑さだった。

外にいる兵も暑い暑いと口を開くごとに喚いているが、少なくともこの中よりもましだろうと幸村は心中でぼやく。

大きなテーブルがテントの中の大半を占め、それを囲む粗末な椅子に、部隊の要人たちが座っている。テーブルの上に広げられた地図に向かい、男たちが話しあうというより怒鳴りあっていた。
騒がしく討論を交す中で、ひとりが幸村たちの存在に気付いた。

「佐助」

独特のだみ声には聞き覚えがある。声の主があまり歓迎している風でないのは、その落とされた低い声から容易に察することができた。

「こういう場所で会うのは初めてだね、元親」

元親が苦い表情をしていることなど気にもとめず、佐助は朗らかに笑う。その裏側では笑っていないことなど、誰の目から見ても明らかだった。

女、という理由だけで前線から遠ざけられていたせいか、佐助に中に打たれた禍恨が根深い。善意からきたものであっても、佐助には差別にしか感じられない。

「本日よりこちらの部隊に加わることになりました」

佐助は見つめるものたちに物怖じもせず軍の礼をする。
ぴんと背筋を伸ばして立つ佐助は、幸村の目に眩しいものとして映った。
戦場は何も知らぬ佐助には過酷な場所であり、地獄でしかないだろう。
それでも、幸村は佐助がそこで活躍し、躍進していく姿を夢見ずにはいられない。
言葉では理解できぬ世界は佐助だけではなく誰に対してでも容赦なく襲いかかる。戦いで何度も生き残り武勲をもつ勇者にも、逃げてばかりの臆病者にも、初めて戦場に出る者にも。

誰が死ぬかなど分からず、誰が生き残るのかもわからない。それは戦いの勝ち負けよりも予想がつかない。
数や状況によって、どちらが勝つのか想像がつくが、死ぬ人間ばかりは分からないのだ。
勝ち軍にも負け軍にも、死者はでる。負け軍よりも勝ち軍が死ぬ人数が少ないというだけで、強い軍に居ても弱い軍に居ても、人は死ぬのだ。

今度の戦況は五分と聞く。いや、むしろ佐助が戦場に駆り出されたくらいなのだから内情は苦しいのだろう。

十数人を従える小隊の隊長として佐助は戦地に派遣された。小隊は他にもいくつか軍から補充され、今回百人近くが、戦いに投入された。

「猿飛少佐は確か今回が初めて戦場に出るのだったね」

髭を蓄えた年輩の男が確かめるように問うた。

「はい!」

佐助はきびきびと答える。

「戦場は少佐が思っているよりも厳しく、人間であることを忘れてしまうような
場所だ。初めて戦場に出るものは大抵使いものになる前に死んでいく」

男の目は、静かな光を讃えている。ぞっとするような静けさは彼が歴戦の戦士であることを物語っていた。
若輩の佐助や幸村では、彼の持つ歴史や経験におしつぶされてしまいそうだ。

「やたら若い命を散らすのは、こちらとしても心が痛むからね。
君と同じように戦いの経験がない中佐がひとりいる。君は彼と一緒に後方を守ってもらう」

上官の命令に佐助は反論することなくはい、と答えた。

****

口惜しい気もしたが、戦うな、と命ぜられるよりはましだったのかもしれない。幸村は佐助の顔色を伺うように盗み見る。内心の読めない冴えた瞳をしていた。凛とした立ち姿は涼しげで、そこだけ周りと違う冷ややかな空気
でも流れているようであった。

日が中天にさしかかり、暑さも最高潮に達していた。じりじりと焼け付く光の強さに、さしもの軍隊も辟易し疲れを見せていた。
しかし、暑さでだらしなく緩んでいた兵たちの顔も、佐助をみるといささか変化した。

数少ない女性兵佐助の存在に、皆が色めきたっている。何故女がこんなところに?と嫌悪を示すものもいるが、大抵は不埒な考えを抱いている連中がほとんどだと幸村は思った。にやにやと笑うくちもとに、吐き気を催す嫌悪感と、今すぐにでも殴りかかりたい怒りを覚えた。幸村は震える右拳をぐっと左手で押さえこみ、兵たちを睨みつけた。
佐助をそういう目で見るということが、気に入らない。
あのような男たちに汚されていい人ではないのだ。

長い期間、戦うために溜まるものが発散できない場所に押し込められた彼らにとって、佐助の存在がさぞや格好の獲物に見えたことだろう。

佐助はそのような目で見つめられても泰然としていた。佐助の統率する兵が待つ場所へ竦むことなくしっかりとした足取りでむかう。

「あ、やっと来た。隊長どうでした?」

隊員の晴海が陽気に話しかけてくる。彼は佐助が女性ということで侮る気もなく、抵抗なく佐助の下についた。
黒髪の何処か気のよさそうな若者は、性格の明るさと真面目さからか佐助も嫌っていない。
逆に幸村は青海にあまりよい感情をもっていない。基本的には好ましい人物だと思うのだが、佐助が絡むと自分以外の佐助とかかわる男という生き物を全て排除したくなる。

「やはり前線には出れないらしい。晴海たちを巻き込む形になってすまない」

佐助の謝罪に、晴海はいえいえとあわてて手を振った。

「むしろほっとしてますよ。前線に出ないってことは、それだけ危険から遠ざかるってことですからね」

背後からこの臆病者!と囃す声があがる。晴海は開き直ってそうだよ!と声を大きくして威張った。周りのものたちがどっと声をあげて笑う。

「臆病風吹かして、いざというときに逃げるなよ」

皮肉を送るのが、戦場にはあまりにも不似合いな美貌の男。
完璧に整った顔立ちは作りものめいていた。
長い睫に縁取られた瞳が愉しげに晴海を見つめている。
気の弱いものであれば、その人間離れした美貌の迫力に圧倒されそうだが、晴海は対して気にしたそぶりもなく、ぽりぽりと頬を掻いた。

「ひどいなあ戦わなきゃならないときにはちゃんと戦いますよ」

危険な目にあわないに越したことはないと思ってますが、卑怯者じゃあありませんからね。
軽快に語るが、その言葉の奥に確りとした彼の意思があり、信頼に足る人物だとひとに思わせる魅力があった。

「期待してるよ」

佐助は微笑を浮かべて青海の肩をぽんと叩き、青海はそれに似合わないはにかみを見せた。


やはり、気に入らないと幸村は奥歯を噛んだ。




2007.07.21 四既