睡眠をとりましょう
「猿飛少佐」
低い声に呼ばれて佐助は目を開ける。
目を開けた、という行為を己が行ったことにたいし、ようやく自分が眠っていたことに気付いた。
「……っ!」
佐助の意識がすぐに覚醒する。
机に伏している状態からすぐに顔を上げて、佐助は状況を把握した。
目の前にはまだ目を通していない案件の書類が山積みされている。
「あ〜っくそ。寝ちゃったか」
忌々しそうに髪をかきあげて舌打ちした。
ここのところ軍内部は忙しく、佐助は軍に残り仕事を片付けていた。
ろくに睡眠をとらない日々が続いたせいか、厳しい軍事訓練で鍛えた体力もさすがに限界のようだ。
しかしのうのうと眠っているわけにもいかず、佐助は書類の山の頂にある一枚を手に取った。
時計を見ると、針は十二を刺している。さて、二時になるまでに終わらせることは出来るだろうか?
だが、それは叶わぬ願いであることくらい佐助はわかっていた。
よくて朝日を拝むまえに終わるのだろう。
まったく、ここのところの仕事の量といったら殺人級だ。
デスクワークが苦手な同僚は、さっさと仕事を片付けることを放棄し帰ってしまっている。
必然的に同僚の分の仕事が佐助にまわってきて、ただでさえ多い量が更に増える。
佐助に押し付けられた分の仕事を同僚に突き返せばいいのだろうが、なにぶん机の上でこまごまとした作業を行うのが苦手な男で、そいつに仕事を任せると結局のところいい加減に処理して問題がおき、それに佐助が巻き込まれるのだ。
幾度もそれを経験している佐助は、最初から同僚の分の仕事まで請け負っている。
それが通常状態であれば佐助は難なく処理しきれるのだが、膨大な量となるや手に負えない。
これでもらう給料はおんなじ額なんだから嫌になるとぶつぶつと毒付きながら、佐助は心配そうに見つめてくる幸村に、ようやく目をやった。
別に無視していたのではなく、睡眠をとっていないせいか注意力が散漫になり、幸村の声によって起きたにもかかわらず、その存在を忘れていたのだ。
佐助の精神状態と体調は、随分と危ういところまできたいた。
佐助がそれに無自覚なのだから、手に負えない。
悪いね、と言葉を濁らせる。
「まだ帰ってなかったの?明日に差し支えるだろうから先に帰ってなよ」
いつもは皮肉と嫌味をまぜた口調で話す佐助が、随分とやわらかく幸村に勧める。
居眠りを見られた気恥ずかしさでもあるのだろう。
「某よりも猿飛少佐が帰宅なさって休んでください。最近、仮眠しかとっていないのでしょう?」
「俺は平気だよ」
佐助はきっぱりというが、それが逆に不安だ。
常であれば、皮肉のひとつでも織り交ぜて返してくる。
「睡眠をきっちりととらなければ仕事もはかどりません。仕事熱心はいいですが、それでミスをしたら本末転倒ですよ」
「……わかってる」
佐助は幸村に諭されて額に手をあてた。苛々した状態で正論をぶつけられて、気が立っていることが幸村に伝わる。
わかってはいるのだ。
平常ではない精神状態と体調で仕事をやってもはかどらないことくらい。
しかし、上からはまだかまだかと焦らされ、一緒に働く同僚は役にたたないときている。
寝ている暇もないのだ。
「でも、俺様ははたらかなきゃならないのっ」
幸村に正論に真っ向から意見を返すのではなく、子供のように言い切っていきおいだけで叫ぶ。
幸村は一瞬それに呆気に取られる。だが、そこで折れるわけにはいかない。
「子供のような言い訳をしないでください」
「言い訳じゃない。正論だ。とにかく真田准尉は帰って寝なさい。上司命令だ」
幸村はそれに不服そうにおし黙った。
しばらくの間沈黙があって、佐助は幸村の返答を待つ時間が惜しく、ふいと顔を背ける。ぐらぐらする頭をなんとか正位置に保ち内容が入ってこない書類を睨みつける。
「……わかりました」
幸村はうなずき、佐助はようやく帰るか、とほっと一息ついた。
だが、それもつかの間のこと。
いきなり体を持ち上げられて、佐助はわあっと声をあげた。
軽々と横抱きにされて、なにをするんだ!と佐助は幸村に怒鳴りつける。
「おっしゃられたとおり、少佐の家に帰って寝ることにします」
幸村はしれっと言ってのけた。
「それはいい。それはいいんだ。なんで俺を抱き上げる」
さっさと下ろせ!上官命令だ!
叫ぶ佐助の声を幸村は聞かぬふり
「某、少佐の残業に付き合っているせいか少々ぼけているようです。少佐がなんとおっしゃっているのか理解できません」
幸村は軍靴を小気味よく鳴らし、部屋の外に歩いていく。
軍法違反だ!上官の命令を無視するな!諮問会議にかけてやるからな!
「おい待て!真田!とまれ!仕事が!まだ仕事がのこってるんだああああ!!!!!」
佐助のものがなしい悲鳴が、しんとした軍基地に響きわたった。
さて、幸村の命令無視のお咎めであるが、命令した本人が命令したことを忘れている状態であったので、結局なかったらしい。
2007.06.27
四既