「ふたつきほどお暇をいただきたいのです」

いつもは瓢々として主を主と思わぬ口調で喋る佐助が改まった態度ど口ぶりで願いでた。

仕事で一月ほど幸村のもとを離れ、ようやく戻ってきたその晩のことである。

「休みが欲しい」
といつも愚痴を溢す佐助だが、忍隊長の責任を自覚する佐助は実際の所休みを嫌う質である。

ときにさりげなく信玄や幸村が休むことを口にしてもやんわりと断り、無理矢理休みを与えても、頼んでもいない諜報活動をしてくる。

その佐助が「暇を欲しい」と幸村に頼みこむなど、いくら勘の鈍い者でもおかしいことに気付く。

「佐助がそのようなことを某に頼むとは珍しいな」

幸村は率直に思ったことを口にした。

佐助はそれに対して、態度を崩しへらりと笑う。

「いやー流石の俺さまも仕事ばかりで疲れちゃってさ。無理して体壊して大事な時に役に立たないんじゃかっこう悪いでしょ」

いつもと変わらぬ様子だが、幸村はおかしいと感じた。

佐助はいつもと変わらない。

だが違和感がある。


幸村はしばらくして違和感の理由に気付いた。


(気配が違うのだ)

幸村は忍のように常に人の気配に敏感なわけではない。この場合雰囲気といったほうが正しいか。

(冴え冴えとした刃の気配がない)

忍の修行により鍛えあげられた、体から発する刃の気配がないと思ったのだ。

それは当たり前のように常に佐助が持っていたもので、あって当然のものがなくなり幸村は違和感を覚えたのだ。

そして……

幸村はくん、と犬のように鼻をならした。

(……甘い匂いがする)

元来、忍には匂いがない。あるとしても、それは極々薄いものだ。

その佐助の体から微かに甘い匂いが漂っているように思えたのだ。

幸村の好きな甘味とは違う匂い。

けれど幸村が戸惑いを覚えるほど良い匂いだった。

団子の匂いをかいだらかぶりつきたくなるのと同じように、けれど違う意味で佐助にかぶりつきたい衝動にかられ、幸村は動揺した。
その動揺を別の意味で受けとり、佐助は

「駄目?旦那?」

上目使いで幸村の顔をのぞきこんだ。

佐助のほうが年上だが、背は最近成長期を向かえた幸村のほうが高かった。


それでも佐助に上目使いをされたのは初めてな気がする。

いや、気がするのではない。

初めてなのだ。


背は自分のほうが高いが、佐助はいつも自分の瞳をまっすぐ見据えていた。物理的にではなく、精神的にそう感じていたのだ。

佐助中にある強靭さ。それが瞳に映りこみ、身長差だとか、佐助の体格の小柄さを感じさせなかったのだ。
体を大きく見せる雰囲気があったと言っていい。

それがないから、上目使いになるのだ。

(おかしい)

幸村の違和感は確信に変わった。

(誰かが佐助に化けているわけではない)

幸村はそんな輩を一発で見破る自信があった。

しかし、佐助は"違う"のである。

「佐助、お前何を隠している?」

幸村は率直に訊いた。

佐助は平静も装えずびくりと震える。

「別に、何も……」

佐助は視線を反らした。
疑ってくださいと言わんばかりである。

「嘘を申すな!」

幸村は怒鳴るなり佐助の肩を掴んだ。

「某の目を見てはっきりともう……」

幸村の言葉が消えたのは、佐助があまりにも脅えた表情をしていたからである。
そして、掴んだ肩の細さにも。

幸村ははそのまま固まってしまった。



おかしい、おかしいと思えどその根本たる理由がわからない。

幸村は混乱していた。

手に力が込もっていたのか佐助は痛みを堪える顔をした。いつもならこの程度の力軽くいなす彼女であるのに。

「旦那……離してくんない?」

"いつも通り"を装おうとして、失敗した余裕のない声。

「離して欲しければ、逃げればよかろう」

忍の彼女なら容易いはずである。

肩を力まかせに掴んでいるだけなのだから。

佐助はそれが出来ずにもがいている。

「佐助」

幸村の目がまっすぐに佐助を見据えた。

「何があったのだ。正直に申せ」

佐助は明らかに忍としての力を失っていたのだ。



*****


敵国に驚異と成りうる存在がいると情報が入ってきたのはちょうど一月前。


「言魂使い」

と呼ばれる呪術者がいる、と。

なんでもその者が言葉にしたことはたちどころに現実になるという。

しかし、現実に出来る範囲には限度があるそうだ。

言葉ひとつで遠隔にいる武将を殺せるわけではないが、放っておくことは出来ない。

近いうちに戦をする国である。


災いの芽は早くから摘む、と佐助は単身言魂使いの暗殺に赴いたのだ。



****

「殺すことはできたんだけどね。最後に抵抗されてこの様」

佐助は口元を歪めた。

「ふうむ」

と幸村はうなり、しかしお前が無事で良かった。と続けた。

「無事じゃないよ。忍としての力を奪われちゃったんだよ?」

佐助は憤慨していう。

「死なずにすんだではないか。怪我もしておらん」

幸村が真顔で言うと、佐助は目を反らした。

「忍の力を失ったら殺されたも同然だよ……」

佐助は気弱につぶやき、幸村はそれにさらに言葉を重ねようとしたが、先に佐助が言葉を続けた。

「とにかく、俺は忍として役に立たなくなったので、休みをいただきます。術に詳しい者に訊いたのですが、こういう術はふたつきほどしかもたないらしい」

「そうなのか」

「ええ。ふたつきたったら戻ってきますよ」


「うむ」と頷きはしたが、幸村は『戻ってくる』という言葉にひっかかりを覚えた。

「まさか佐助。おぬし屋敷を離れるつもりか?」

「あたりまえでしょ。屋敷にふたつきいてもやること何もないんだから」

「長として命令を下したり、他の忍をまとめる仕事があるではないか」


「いずれ力が戻るとはいえ、完璧に忍としての力をうっした俺の言葉を、全ての忍が聞くとは思えません。奴らは無能な上司に使えません」

「だが……」

「それに俺が嫌なんだ。みんなが働いてるのに、自分だけひとり何も出来ないでいるなんて。……切なくなる」

幸村は佐助の台詞に驚く。
普段は自分の心情など吐露せぬ佐助が切なくなると悲しげに言うのだ。

佐助はそれに気付き、口を押さえた。しばらくしてからばつが悪そうに言った。
「感情の制御も出来ないんだ。本当、嫌になる」

だからさ、佐助は懇願する。

「お願いだから、暇を出してくれよ」

ね?

と今にも泣きそうに言われて幸村は自分の中の何かがぐらりと揺らいだのを覚えた。

(愛しい)

とか

(かわいい)

とか、いろんな言葉が頭をよぎった。

それ以上に、体が熱を持ち幸村の抱く思いを考えるよりも速く伝えてくる。

(抱きたい)

幸村の体は戦場と同じように高ぶった。
感覚も鋭くなるのか、佐助の体から発せられる甘い匂いも強く感じるのだ。


しかし幸村は堪えた。
自分を叱咤する。

(破廉恥だ!)

くらくらとする頭を支え、佐助から目を反らした。



「休みはやる……しかし屋敷から出るのは許さぬ」

それに佐助は非難の眼差しを向けるが、幸村が意見を変えぬことを感じとると、溜め息をついた。