主が壁一枚隔てたところにいるのだな、と思うと奇妙な気持ちになった。自分と主の位置は、隣同士の壁一枚に隔てられることのない近い距離か、任務で遠く離れてその存在を確かめられない距離、大抵どちらかにわけることができる。この、壁一枚というのが、佐助の琴線に触れるのだ。
近いようで、遠く。遠いようで、近い。触れられる距離にいるわけでもなく、その存在を確かめられぬほど遠くにいるわけではない。
とても奇妙で違和感がある。
姿は見えないのに、気配はありありと感じる。
おとなしいところから、おそらく寝ているのだろうと佐助はおもった。ちいさくため息をついて、佐助は壁によりかかる。
この壁の向こう側に幸村がいるのだな、と思うと迫りあがってくるのは、顔をほてらせるような熱さ。
見えないのに、近い。
近いのに、見えない。
もどかしく胸をかきむしってくるようなそれに、佐助は胸元を抑えた。幸村は、壁の向こう側に、自分がいるなんて知らないのだろう。知らないと確信しているから、わざわざ誰も使っていない幸村の隣室に足を踏みいれたわけであるが。
佐助は唇を固く噛んだ。自分が今からやろうとしていることに踏ん切りがつかない。やめようか、と胸をざわめかせる違和感に思ったけれど、どちらかというとそれは佐助をとどめるよりも、佐助が今からやろうとしていることの誘発剤になった。
近くて、遠い距離。
もどかしさと切なさに、胸が痛くなる、それ。
物理的な現象が、まるで自分の置かれている現状似ている。主と忍。一緒にいても、遠くかんじる。身分の違い。
ごくん、と佐助は唾を飲んだ。頬が緊張で赤くなる。壁のほうを向く。壁に触れた指が震えた。
馬鹿げてるな。自分でも思った。けれど佐助は、こうする以外に、体の奥底から沸きあがってくるものを沈める術を知らない。心臓の音が聞こえる。全身を駆け巡る血流の音も。
興奮と緊張がまじりあう。
喉からようやく絞り出した声は、震えていた。
「……幸村、さま……」
呼んで、空気にとける声。返事はない。当たりまえだ。返事があったら逆に困る。
自分でもおかしいと思うほどに震えた声で、佐助は続ける。顔をさらに赤くして。声をさらにひそませて。
囁くように。語りかけるように。
ちいさく、ちいさく。
けれど思いのたけをこめて……
今、触れて。
抱き締めてほしいんだ。
「大好き。大好きだよ……幸村さま……」
夢の中で聞いてくれればいいな、なんて愚かな願いを抱く。
「好き……本当に大好きなんだからな……」
体が熱くなる。好きで好きで、たまらない。もてあましてしまう、この思い。
言葉にしたら余計に胸が熱くなった。のぼせたように頭に血が上って、頭がくらくらする。胸をおさえて息を整えた。この程度で忍が取り乱してどうすると自身をたしなめる半面、もっと酔ってしまいという欲求があった。
「好き……口付けたい……口付けて欲しい……」
こぼれおちる言葉は、幼い子供がはなすようにたどたどしくてつたない。ぽろぽろと唇からすべりおちてくる願いはかわいらしくもあり、愛欲にあふれている。けれどそれは叶わないと知っているから、切なげな色を宿していた。
佐助はゆっくりと目を瞑る。夢の中に落ちるように壁に体を預けて、願いごとを壁越しに告げた。
*****
夢の中で忍の告白を聞くようになった。好きだ、好き。好きと訴えて、口付けてほしいと、抱きしめてほしいと、かわいらしい願いをいう。それがとてもいじらしくて幸村の胸を痛ませる。
願いごとを叶えたくて佐助の姿を探すのだけれど、声はいつも闇の中から聞こえてくるのだ。目覚めたあとは、ただただ歯噛みする。夢の中ですら、忍を捕まえることはできぬのか、と這い上がる絶望感が襲う。だが、夢の中で大切なものを汚さずにすんだ、とほっとするときもある。
幸村は佐助に、「主従」というくくりを越えた感情を抱いていた。どれほど思っているのか、自分でも恐怖するときがある。度を越えた感情は時折凶暴な愛欲と性欲とからみあい、佐助に向かいそうになる。凶暴なそれをなんとかなだめ、鎮める。そのために何度虚しく精を吐き出したか知れない。
今の関係を壊したくないいという思いと、自分の我欲で佐助を傷つけたくないという思いがあった。
結局自分のなかで勝つのはそれで、勢いに任せて襲ってしまいたいという欲求が頭をかすめることは何度もあったが、なにもしないまま時を経た。
夢を見るのもその欲求の発露か、と。そんな己がただ恥ずかしく、最初に夢を見た翌日はまともに顔をあわせることができなかった。
夢の中での告白は毎夜毎夜続く。好きと告げる声はいつも寂しげで、口付けてと乞う声は悲しげだった。佐助の悲しみも寂しさも癒すために俺もだ、と告げて抱きしめて口付けてやりたいのに、相変わらず闇のなかに佐助はいて、何もできなかった。
何日も続くものだから、現実と夢がないまぜになり、佐助を抱きしめそうになる欲求に駆られた。その細腰をひきよせて、薄い唇を吸いたい。ああ、あれは夢なのだ、と言い聞かせても、佐助の切なげな声がやけにはっきりと耳の奥に残り、幸村の胸を狂わすのだ。
褥に押し付けてその体を貪ってやりたい衝動に突き動かされそうになる。虚しい願いごとばかり訴える唇を塞いで、願う暇すらあたえぬほど俺という存在を刻みこんでやりたい。
そんなもどかしい気持ちを抱えていたときに、夢が夢ではないことをある晩知った。
冷めることのない熱気が肌に絡みつくような夜だった。闇が圧迫するように体全体を包みこみ、寝返りを打つのも億劫になるような空気。汗が体を濡らし、その暑苦しさに、寝ぼけ眼でわずかに覚醒する。
目を瞑れば、再び眠りにおちそうなまどろみの最中、幸村は佐助の声を聞いた。
「好き……幸村さま……」
まさしく、夢の中で聞いた、あの、声。
切なくもらす吐息と、悲しげな願い。願いごとを口にするくせに最初から全てを諦めたような声音は、幸村の胸に鈍い痛みを走らせた。
覚醒は未だ遠い。
それが未だ夢なのか現実なのかつかめぬまま、腕を闇にさしだす。
「俺もだ……」
ようやく搾り出した声は寝起きのせいかしわがれていた。
小さな呟きに、闇の中にいる影の気配が一瞬、ひるんだ。
ひるんだ、という事実に幸村の意識は瞬時に覚醒する。何者かが、確かにそこにいる。
(佐助?)
名前を呼びそうになって、幸村はあわてて口を閉じた。名前を呼んだら、己が影はきっと逃げ出す。そんな確信があった。俺はまだ、確信できるものを聞いていない。それが夢なのか現実なのかはっきりしない状態で聞いたものではなく、確りと覚醒した意識のなかで佐助の声を聞きたいのだ。
目覚めたことが佐助にばれないように、幸村は身じろぎせず、じっと聞き耳をたてた。佐助の消え入りそうな声は聞こえない。寝ぼけたまま呟き返してしまったのがいけなかったのだろうか。
その沈黙のなか、幸村は佐助がどこにいるのか探った。傍に、この部屋の中にいるわけではない。天井裏かと思ったが、違う。どうやら壁一枚隔てた隣室にいるのだと気付いた。
忍の気配はとても密やかであったけれど、長年共にいる忍の気配を、幸村が見失うはずなかった。佐助の居場所がわかってしまうと、幸村はいてもたってもいられなくなった。このまま起き上がり、すぐさま佐助を抱きしめるために駆け出したくなった。
二度とあんなふうに寂しげに名を呼ばせぬように、唇を重ねて甘く溶かしていやりたい。もっと望むなら、深くつながり、二度と離れていかない更に強い絆を育みたい。
そう、考えただけで体が熱くなった。
ああ、佐助。佐助。
あいしている……
****
「俺もだ……」
呟く声に胸が跳ねた。驚愕、した。目を見開き、壁をじっとみつめる。じっと見つめたところで透視の術を使えるわけでもないから無機質な壁が目に入るだけ。ざらざらした手触りの土壁を無意味になで、驚きをやりすごすように音をたてずに深く息を吐いた。
あの言葉は、なんだ。問うて、答えが見つかるはずもない。あれは、自分の愚かな問いに対する返答? まさか。そんなはずない。俺はどれだけ馬鹿な幻想を抱きたいんだ? 抱いたところでそれは願望にすぎず、現実ではない。
辛く、苦い思いに佐助は唇を歪めた。一瞬の甘やかな期待、その反動は胸に苦しいくらいに突き刺さる。
寝言に振り回されてどうする……
それに、一瞬でも喜んでしまった自分が馬鹿らしい。
あのひとがもし自分のことを、好き、だとしてもそれは自分の望むものとは違うはずだ……
胸元を押さえ、佐助は苦笑する。馬鹿みたい。口のなかで何度も繰り返す。涙がこぼれる。それすらも、自分をあざ笑う対象でしかない。
馬鹿だ……俺は馬鹿だ……ありえるはずないのに、期待して。胸を高鳴らせて……喜んで……
一瞬、たった一瞬。抱いた希望はおおきすぎて、すぐに気付いてしまった真実に絶望が更におおきなものになった。期待から突き落とされた先にあるのは、這い上がることができない絶望の淵。
あいしています。あいしています。
繰り返す言葉は虚しくも空(から)にとけるのがふさわしい。返される言葉は、恐ろしくて聞くことができないから。誰の耳にもととかず、消えてしまえばいいのだ。
耳を塞いで。体を猫のようにちいさく丸めた。
拒絶の言葉など、聞きたくない。
聞きたくないから、秘めるように毎夜壁越しに告白しているのだ。
絶対に聞かれないという確信があるからこそ、その願いを口にすることができたのに。
聞きたくない。聞きたくない。うわ言のように佐助は頭の中で何度も繰り返した。
それでもこの思いだけは、告げたいのだ。
「好き……だから……」
涙がまじる、情けない声が出た。
****
「好き……だから……」
聞いた。確かに聞いた。この耳で。しかと聞き届けた。
じっとしていられなかった。じっとしていられるわけがなかった。幸村は起き上がり、佐助のもとへ走った。
勢いよく襖を開けると部屋の壁にぴったりくっつきうずくまる影があった。表情ははっきりと見えないけれど、驚いているに違いない。瞬時に逃げ出そうとした佐助に、幸村は逃げるな! と声を荒げて命じた。
幸村はうずくまる佐助に近付き、力をこめて抱きしめた。
「まったく。毎夜毎夜夢に出るほどいいおって」
佐助はそれにびくりと体が跳ねた。ちいさく謝罪の言葉が漏れる。
「いいか。言いたいことがあるならはっきり言えばいい。俺とて、お前のことを……」
好きなのだ。
告げられた言葉に、佐助は目を見開く。
「だ……っ」
んな……
その真意を問おうとして、唇がふさがれた。
それは、幸村が望むように佐助を甘くとかして。
佐助が願ったように重なりあう熱さがあった……
了
なんかもう佐助が気持ち悪いよ……かけません限界。無理。無理。無理矢理終わらせる。
甘いのとかなんかもう。私にはかけない次元。
別世界。
てか佐助の乙女化がやばい。
あなたはなんののろいを幸村にかけてるの?
寝てるひとの耳にささやくのって、なんかの暗示?
2007.07.25
四既