「野党が?」
甲斐の内情を調べて回っている忍の報告を受け、それは由々しき事態だな、と海野六郎素早く頭の中で算段をする。
野党がはびこるのは戦続きの世には常であっても、信玄の治める甲斐の地に、そしてなにより幸村のお膝元である上田の地に不穏な影があるのは見逃せない。
まずは幸村に報告しなければならない。
本来ならば忍隊の長である才蔵か、忍隊の直属の上司である幸村が直接受けるべきなのであろうが、才蔵は任務で屋敷におらず、幸村はこのところふぬけになっているせいで、ろくすっぽ話が耳に入らない。
それを不安に思って忍は六郎に報告しにきたのだ。
幸村がこういう状態になるときは今までにも何度かあって、そういうときは大抵、六郎が幸村にことの次第を報告し、六郎に忍隊を命令する権限を預け、不在の長と使いものにならない主に変わり忍たちに命令する。
野党が何処を塒にし、野党によりどれだけ被害があったのか詳しく報告出来るようにするのは、彼らの通常の仕事であるが、見付けだした後の殲滅、後始末をさせるには、きちんとした上からの命令がいる。
報告しにきた忍に詳しいことを頼むと言って、六郎は途中の書きものを片付けた。
毎日の掃除が行き届いた廊下を歩き、幸村の部屋に向かう。
雨あがりのしっとりとした土のにおいが鼻をかすめ、つい視線を庭に向ける。
そろそろ梅雨も明けようかという頃。
紫陽花の花も茶色に枯れようとした。
そういえば、珍しく幸村が高価なものではなく、ただ庭に咲いているだけの紫陽花を佐助に送っていたな、と。
ふいにそんなこと思う。
今回、幸村の心を奪い役立たずにさせているのは、やはり佐助が原因なのだろうな。
考えなくてもわかることに、ため息をつく。
いつまでたっても主を振り回してくれる男に対して、怒りと憎しみを抑えることができない。ふつふつと腹の中が煮え上がる。
自然、目が細められて、今、この場にいない男に対し、薄く殺意が滲みでる。
六郎は足を止める。
主のもとへ赴かなくてはならないというのに、殺気を振り撒いていてどうする。
「野党か……」
ぽつりとこぼれ落ちる言葉。
黒く澱んだ感情が酷く浮彫りになった、低く沈んだ声。
一層のこと、離れが野党に襲われて、佐助が死ねばいいのだ。
六郎は躊躇いも同情もなく、そうあることこそがよいことだと、その考えが善だと少しも疑いもしないまま、ひっそりと願うのだ。
屋敷の警戒域から離れたそこは、野党が入りこまないわけではない。
佐助が逃げないと信用しているのか、(一度は逃げ出したのにまだ信じるのかと、六郎はその懐の深さに驚きと呆れを同時に抱いた)幸村は離れに忍や兵の見張りを置いていない。
足が動かないから自力では逃げられないことも関係しているのだろう。
だが、幸村は外部から加わるかもしれない危険のことを失念している。
いや、危険があっても、そもそも死んでもいいから見張りをつける必要性がないのか。
ソ ウ ダ 奴 ハ 死 ン デ モ イ イ ノ ダ
何処からともなく響く声は、甘い誘惑の囁きでもなく、六郎の中の厳然たる事実であった。
幸村に組み敷かれ甘い声をあげていた。
幸村に抱かれ狂おしく乱れていた。
ぞっとするほど白い肌が肌が紅潮し、悩ましい色気を振り撒いていた。
幸村に楔を打たれる度に快楽と苦痛に表情を歪ませ、ただ一心に見つめる幸村の雄の視線に気付かず泣きじゃくる。
幸村の野性が宿る欲情に濡れた雄の顔を見たのは、あれ以来一度きり。
驚きなのか、衝撃なのか、心臓が跳ねた。
佐助はあの後も幸村に女のような顔を見せ続けたのだろうか。
……殺意が。
抑えきれぬ殺意が。
沸いた。
六郎はふう、と己を落ち着かせるように息をつく。
このままでは。幸村のもとへは行けぬ。一旦部屋に戻って冷静になろう。
足を引き返し、何も考えずに歩く。その間に勝手に幸村と佐助の交わりの光景が勝手に蘇ってきて、何度もそれを打ち消そうと首を振る。
荒い息づかいが、まさにすぐそこで情事を行っているかのように耳の中で響いて、熱くなる体を止められなかった。
『あ、あ。やあっ……ぃたっ……』
抑えようとして、結局こぼれおちた喘ぎと拒絶。幸村はそれに唸るようにして、腰を荒々しくぶつけていた。
佐助は乱れ、汗を飛び散らせ、閉じた瞼の目尻に涙をため、頬に伝わせた。
二頭の獣の交わりは、激しく、一方的で、目が覆いたくなるほど浅ましく醜い欲に溢れ、
そしてうつくしかった。
隠すこともせず、ただ己の全てをさらけだし、欲に生きる。
ひとは、獣の美しさを忘れ、行為を見栄えのいいものだけで飾りたて、交わりの本来の姿を忘れていないか。
雄は己の欲求を押し付けて、利己と快楽を満たすために腰を揺さぶり全てを叩きつけ、生存の本能を放ち、雌の体をそれで満たすのではないのか。
獣たちの交わりが何かを訴えかけるように六郎のなかで繰り返される。
体が熱い。
体の中心が熱を持ち、堪えきれない。
そこでぐるぐると欲がうごめく。
解放を求めて六郎を急き立てる。
部屋に戻って己を慰めよう。
内側から苛むものに、たまらず真昼間から手淫を施すのを思いたつ。
……ん、それにしても。おかしい。もう部屋の前についていてもいい頃あいだぞ?
はっとして辺りを見回すと、六郎は林の中にいた。
そこには見覚えがある。
佐助のいる離れまで、人目を忍んで訪れることが出来る場所である。佐助も先日の騒動で利用した道だ。
何故ここに?
無意識の内の行動だった。草履まできっちりと履き、目指しているのは、明らかに佐助が住まう離れである。
「野党が……」
野党が、上田の地を荒らしているという。
佐助が纏うのは、野党どもが喜ぶような高いものばかりだ。
もし、彼等が上田を納める真田の屋敷にほど近い場所にある離れに、金品がありそれどころか見張りもいないと知ったら。
多少の危険を冒してでも、足を踏み入れるのではないだろうか……
そう。あの離れは。
野党に荒らされてもおかしくないのだ。
(死ぬべきものが、いる)
林を抜けてすぐ近くに。
(それが、死んでもおかしくはない状況が出来ている)
誰にも守られず、歩くことすら出来ない男が。
心臓が鳴る。
空気は湿り気を含んでいるのに、喉の奥が乾いた。
汗が流れ、
動揺のまま目を見開く。
これは、好機なのだ。
忍に裏切られてなお、その優しさで忍の命を断つことができず苦しんでいる主を助けるための。
続
迷いなど、ない。