よく眠る猫だ。幸村は佐助の膝で眠る猫に視線を送り、起こさないように撫でた。ひくひくと耳と髭が揺れたが、猫は起きなかった。
佐助は相変わらず、幸村がさわると悔しさや嫉妬が混じった羨望を目に宿す。
まったく、と幸村は息を吐き苦笑する。
「そんなに猫を取られるのは嫌か?」
違う。忍は即座に否定するが、子供がすねたような態度では流石に信じられぬ。
幸村は忍笑いをもらし、咎めるように睨みつけてくる佐助に、すまぬ、と苦笑した。
忍はそれについと顔を反らす。
表情を隠さぬ佐助を、忍らしくないと思えど、幸村は嫌いではない。魂のあるひとと共にあるのだという安心感を抱くことができる。
人形を相手にしているのではないのだ。
熱い血を持つ"人"を部下にし、友としている。
それが幸村の誇りで、そして幸せでもあった。
普段は氷のような表情の佐助から、人間らしい顔を引き出すのは、幸村にとってある種の楽しみで喜びだ。
そして、安堵する。
佐助はまだ心を捨ててしまっていない、と。
佐助の心は、言葉にはしないが幸村が危惧するほど優しく、脆い。
いつか、現世の痛み苦しみに耐えかね、硝子のような心を壊してしまわぬか……、と。
出来ることなら、戦にも連れていかず、忍の仕事も与えず、心穏やかな日だけを送らせたい。
それは幸村のまごうことなき、願いなのだ。
繊細な心を守り、たったひとつの傷もつけぬように真綿でつつむような加護を彼に……
守られるべきは幸村だ、と佐助は怒るであろうから、幸村は佐助にそれを告げない。
言葉にせずとも、守りぬくという覚悟が、幸村にはあった。
(これに仇なす全てのものを俺が弾いてやろう)
幸村は佐助の背後から腕をまわし、佐助を抱き寄せた。
幸村は心の内に思いこんだものを形にするように、佐助を優しく抱きしめる。
忍を傷つけるもの、全てを弾きこの腕の中で守ってやろう。
信玄のために天下統一を目指すのは、己が夢を果たすため。
忍を守ってやるのは己が願いを叶えるため。
「だんな……」
腕のなかで忍が戸惑う。幸村は微笑を浮かべた。
「暖かくなってきたとはいえ、まだ寒いだろう?体が冷えているじゃないか」
こうすれば暖かいだろう?
幸村はこうすることが当然のように佐助を抱きしめている。
彼の体が冷えれば、暖めてやりたい。
己が熱を感じ、人の暖かさを知ってくれ……
俺はお前を守りたい。
傷つけるものを許さない……
「ここのところ、仕事ばかりで疲れているだろう?寝たらどうだ?」
「あのね、こんな格好でなんか寝れるわけないだろ」
佐助は呆れているが、幸村は佐助を離してやらない。
「人に体を預けているのは、楽だろう?何かあったら起こしてやるさ……ほら、寝ろ」
「命令かよ」
佐助は苦笑したが、少しだけ、こわばっていた体の力が抜けた。
「もっと体を預けていいのだぞ。お前の体重など苦にならぬ」
幸村は佐助の髪の毛をすいた。
やわらかく髪をいじられる気持ちよさに佐助はうっとりと目を閉じる。
「……なんだよ。本当に寝ちゃうよ?」
胸にかかる体重がどんどん重くなってくる。
幸村はそれを心地よく受け止め、佐助の耳もとで囁く。
「ああ、眠れ」
佐助はそれに、びくんと過剰に反応して飛び起き、幸村を突き飛ばした。
猫は佐助の膝から放りだされ、眠りから覚め大きくのびをした。
佐助は吐息をかけられた耳を抑えて顔を真っ赤にする。
「あ、あのねっ!耳もとでなにかもの言うのやめてくんない!」
佐助は目に涙までためて訴える。
佐助に突き飛ばされ尻餅をついた幸村は、立ち上がってこちらを見下ろし怒鳴ってくる佐助に、口を開けてぽかんとした表情を浮かべる。
幸村は……
あ、と小さく声を上げ、食いいるように目を見開いた。
美しいと……嘆息し、
それ以上に、その躯に触れたいと、渇望し。
そして……貪りたいと……
人が持つ原初の本能が叫んだ。
次の瞬間には佐助の手首を引っ張り、先ほどよりも強い力で佐助の痩躯を抱き締めていた。
佐助の頬に片手をそえ、熱をおびた目で佐助を見つめる。
幸村の顔がゆっくりと近付いてきた。佐助はそれに逃げようとしなかった。驚きで反応が遅れたのもあったが、それ以上佐助が幸村から逃げられるはずもないのだ。
佐助は幸村を慕っているのだから。
佐助は目を閉じた。
心臓が異様なほど高鳴り、体中を熱くさせた。
期待に大きく胸が膨らみ、同時に胸がじりじりと痛む。
重なる唇を待ち詫びて……
佐助は頬を更に朱に染めた。
だが……
落ちてきたのは唇ではなく、声。
「すまぬ……」
佐助ははっとして目を開ける。
悔根に表情を歪ませた幸村が視線をそらした。
「……ぁ」
小さく佐助が戸惑いの声をだす。
繊細な容貌がくしゃりと悲しみで歪められる。
佐助はゆっくりと幸村から離れる。佐助を抱きしめる幸村の腕の力は、緩んでいた。
「ごめっ……俺、仕事に戻るね……」
佐助は即座に身を翻し幸村に背を向けた。
すっと消え去り、猫と幸村が縁側に残される。
幸村は佐助に腕も伸ばすことも出来ず、見送る。
「俺は、佐助に何をしようとしていた?」
幸村の問に答えられる者はいない。
それは自身で見付だすほかないのだ。
了