風鈴
気づけば夏は過ぎていく。
まぼろしのようなときとともに……
それは過ぎる夏
予想通り、旦那は次の日も。
また、次の日も店に来て甘味を注文した。
◇◇◇
「佐夜どの。今日もみたらしを頼む」
「はいはい。みたらしですね。少々お待ちください」
幸村は店にやってきては佐夜にはなしかける。
最初は戸惑いと緊張を含んだとつとつとした話かただったが、やがてはなれていき、あたりまえのように佐夜を見つめ、その涼やかな声を楽しんでいた。
「なあ、佐夜どの。今日は雨だな。晴れたら、虹が見えるだろうか?」
甘味屋の外は雨でしっとりとした雰囲気に包まれている。
店内にもそれが染み渡り、心地よい雨の調べにおだやかな空気がひろがる。
「どうでしょうか?私はまず虹よりも雨があがるかが心配です」
佐夜は心配そうに外を見つめた。
「ふうん。佐夜どのは雨があがってほしいのか?」
「雨の日の草木の匂いは好きなんですが、洗濯ものがたまるのが嫌なんです」
くすっと笑ってみせる。幸村はそれに少しみとれ、顔を赤くした。ごまかすように、佐夜の言葉を繰り返す。
「雨の日の匂いが好きか……」
「どうかしましたか?お武家さま」
「いや、知り合いと同じことを言うと思って……何故、好きなのだ?」
「何故でしょうね……」
何故でしょうと繰り返す割りに、その表情は確信にみちていて、まるで幸村を試すかのように見つめられる。
「雨の日に、私は大切な人と初めて出会ったんです」
その出会いの光景を思い出すように、佐夜の目は今目の前にいる幸村にではなく、過去へと向けられる。
穏やかに告げられた言葉。けれど、幸村はそれに気が気でないものを覚えた。
ちくりと胸を刺す嫉妬。自然、声に刺々しいものが混じる。
「大切な人?誰なのだ?気になるな……教えてもらえぬか、佐夜どの」
「ふふ。いくらお武家さまでも、これだけは教えられません。秘密です」
しかし佐夜はその問いに答えない。幸村は悔しそうに眉をよせ、うつむいた。
「そうか……でも、気になるな……
ひとつだけ、教えてもらえないか?それは、男か?女か?」
目線だけ上げて、佐夜に再び問う。
「男の方です……」
答えに、幸村の表情が苦味走る。
「男……か……。なんだか悔しいな……佐夜どのがそんなことを言ったら、某は雨の日の匂いが嫌いになりそうだ……」
「……そうですか」
幸村の拒絶に、佐夜は衝撃をうけたように顔をうつむかせた。
「す、すまぬっ! 佐夜どのの前でそんなことを言うべきではなかった。申し訳ない」
「大丈夫です。大丈夫ですよ。でも、できることなら、お武家さまには、雨の日の匂いを好きになって欲しいです」
「佐夜どの?」
「我が儘かもしれませんが、嫌いに、なって欲しくない……
貴方には、あの匂いを好きであって欲しい……」
佐夜の、静かだが必死さの伝わる願いに幸村は頷いた。
「ああ、お主にそんなことを頼まれたら、好きになること以外某が選ぶ道がなくなってしまうな……
佐夜どのがそう言うなら、某は、好きになれるかもしれないな……雨の日の、水を含んだ優しい草木の匂いを……」
「ねえ。お武家さまは、雨の日に、誰かと出会いませんでしたか?
しとしとと静かに降る雨の音に安らぎを覚えるような日に、大切と思える誰かに……」
「……ううん。某には覚えがござらぬ……
!?……どうしたのだ!佐夜どの。某、何かそなたを傷つけるようなことを言っただろうか!?」
「え、いえ……何も……」
佐夜は首を振るが、幸村には信じられない。
「では、何故そのような悲しげな顔を……
なあ、佐夜どの。某は雨の日に思い出はないが、暑い夏の日の気だるげなあの空気に、これから懐かしさを感じるだろう……
夏の草木の生き生きとした匂い。
町の空気。貴方に出会えた日が、某にとって……とても、とても……」
口足らずな告白めいた言葉。
顔を赤くして必死に言葉を探す幸村の様子に、佐夜は笑いをこらえきれない。
「……くっ。くく。
お武家さま。顔が真っ赤ですよ」
「む。笑わないでくだされ!
と、とにかく、某は夏の日の匂いが好きなのだ!」
「すみません。お武家さま、ね、すねないでください。
私を、見てくださいよ……ねえ。こっちを向いてください」
「……」
「ようやく向いてくれましたね。まるで子供みたいなひと……」
「なあ、佐夜どの。某、雨の日の匂いを好きになろうと思う……」
「……」
「だから、そんな……悲しげに笑わないでくれ……
俺は佐夜どのの、そんな顔を見ると胸が痛くなる……」
「……」
「雨の日の匂いは、おぬしの好きな匂いだから……おぬしにとって、大切な日だし……某にとっても、大切な日になった……」
「……」
「だから、泣かないでくれ……いや、泣いてくれ……」
「なんです、それ……」
「泣くなら、胸を貸す……なあ、某の胸で泣いてくれ……抱き締めて、優しくしたい……」
「嫌です……そんな、下心丸出しの方にすがって泣くなんて……」
佐夜はごまかすように笑ってみせた。
「佐夜どの……冗談ではないのだ……冗談では、ないのだ……」
「今日は風が強い日だな……汗も吹き飛ばされそうだ……」
幸村は見せの中から外をみつめた。青く輝く空。そして、よくなりひびく風の音。
「風が強いから、風鈴がよく鳴りますね。こうも鳴ると風情がない……」
「そうだな。夏もそろそろ終わる……秋が来る。実りの秋だ。忙しくなるだろうな。
それに、風鈴も必要なくなるな……」
「そうですね。秋になったら、要らなくなってしまいますね……結局買わず仕舞いで終わってしまいそうです……」
佐夜はちいさく笑う。
「……?」
「お武家さまと出会ったあの日、私も風鈴を買おうとしていたんですが、自分の分を買い忘れてしまったんです」
そう語る佐夜はそのときの光景を思い出しているかのように目を細める。哀しげに見えるその顔をみつめ、幸村はそれを吹き飛ばすように明るく提案する。
「そうなのか!ならば、今度は某が佐夜どのに風鈴を贈ろう!」
「もう、夏も終わってしまいますよ」
暗に遠まわしに遠慮しているのだが、幸村はまったくそれに気付かない。
「来年、買いに行けばいいのだ。佐夜どの、来年は佐夜どのが欲しい色を選んでくれ」
「来年、ですか……」
「嫌なのか……?」
「いえ……嫌ではありません……嫌じゃ、ない……」
「なあ、佐夜どの。秋は一緒に月を見よう。冬は共に暖をとろう。春は佐夜どのに花を贈りたい。夏は、風鈴を贈って、風鈴の音を共に聞きながら涼んで、蛍の光を見たい」
幸村は目を輝かせて佐夜をみつめる。
「そんなに、たくさんの約束……守れるかどうかわかりませんよ……?」
「佐夜どのは優しいから、守ってくれるさ……なあ、佐夜どのそうだろう?」
佐夜がその約束を守ると信じて疑わない顔。
……佐助は、胸は痛む罪悪感を隠し、戸惑いがちに、はいと頷いた。
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