風鈴


リン……

遠く遠く遥か彼方から、
風鈴の音が聞こえる。

……そう言えばあの風鈴はどうしたのだろう?

それは葛藤


最近、主がもの思いに更けるようになった。

幸村がはあ、とため息をつくたびに、じめっとした空気が濃くなる気がする。



理由を聞けど、主は何も語らず。



ぼうっとしていることが多く。



口数が減った。



しかし、日々の鍛練は欠かさない。むしろ、今までよりも気合いこめ、鬱屈した何かを吐き出すように、倒れるまで体を動かす。


がむしゃらな主が心配で、何度も声をかける。


いつもなら団子を持ってきたと言えば喜んで振り返る彼に。


その声は届いていない。





一心不乱に槍を握る幸村は。

強く。

気高く。

美しく。



そして、そんな主が誇らしい。



主が大切で。

大事で。


それが、主だからなのか、幸村だからなのか分からぬほど、大切。

大事。

その主に声が届かないというのは、初めての経験。

いつも笑顔を独占してたのは俺で。

いつも名前を呼ばれてたのは俺で。

そりゃ、確に"お館さま"には負けるけど。


主にとって自分は。


大将の次くらいには、大切な存在なんじゃないかって、自惚れてたけど。

本当は。


どうでもいい存在なんじゃないかって思えてきた。


たった数回、声を無視されただけ。

それが何日も続いただけ。

それだけで。
それだけで。



酷く酷く………




ないはずの心が、

(悲しいなあ)


なんて思って。




酷く酷く………


胸が痛くなって。




自分は主に頼られているという自負があったのに。

本当は俺が旦那を頼ってて。


旦那が俺のことを見てくれないだけで。



弱い心が、




『さみしい』



て、訴えるんだ。





どうすれば、旦那がまた俺のことを見てくれるようになるんだろう?



旦那にとって、"特別"
じゃなきゃ、俺は耐えられないほど…………










◇◇◇◇◇◇


「旦那?大丈夫?」

大の字になって幸村は空をあおいでいた。

上から心配そうにのぞきこんでくる佐助。

「ああ」と答えて起き上がる。

「旦那、最近どうしたのさ?体をいじめるみたいに、修練ばっかりして。体壊しても知らないよ?」

普通なら軽い口調で話す忍が、泣きそうな顔で尋ねてくる。

そんなに心配させているのか。
本当は違うのだけれど、悪いなあ、と思い幸村は頬をかく。

自分の抱えている思いを正直に話せば、佐助の心配が少しは減るだろうか?

減ればいい。

幸村にとって佐助は大切な人だった。口にはしないけれど、それは佐助にも伝わっていると幸村は思っていた。

幸村にとっての誤算は、そう、思い込んでしまったことだろう。

口にしない言葉を受け止められるほど、佐助は器用ではなかった。

そんなことに気付かぬまま、幸村は、顔を少し赤くして、口を開く。

「気になる……おなごがいるのだ……」

幸村の言葉に、心の中で佐助は嘆息した。

(嗚呼)

だから……

「今は、お館さまの天下統一を果たすために、そのような色恋に心を奪われている暇はない。だから、忘れたくてずっと槍を握っているのだが」

忘れられないのだ。

忘れようとすればするほど、想いが募る。

一途な青年は、恥じるように顔を伏せる。

男が女を好くこと。人としてそれは当然で、誰も責めることはできない。

けれど、佐助は。

(だから俺を見てくれなくなったんだね?)

恋人をなじるような、悲しい吐息のような、




諦めをこぼした。




「ふうん。旦那も大人になったってことだね」

瓢々とした仮面を被って、道化みたいに偽りの笑顔はっつけて、

からかうように言うと、いつもは怒りだす主が、恥ずかしさのあまりかずうんと沈んで。

「うう。言うのではなかった」

落ち込む幸村に、"俺だって聞きたくなかった"て告げたかったけど、もちろんそんなことできるはずなくて。

「冗談だってば。旦那のために俺さまが一肌脱いでやるからさ。顔あげなよ。俺が出来ることならなんでもするよ?」

本音とは程遠い言葉をべらべらと並びたてる。

幸村は佐助の言葉を疑わずに信用して、

「本当か!?」

ぱあっと表情を明るくする。

「佐助に協力してもらえると、助かるでごさる!実は相手の名前も知らないのだ」

忍としての、俺の実力に期待してる。

「だから、佐助にあの人を探して欲しいのだ」

にこにこと、顔を赤くして、佐助に頼む幸村。

(……別に)

("佐助"じゃなくてもいいじゃないか)

("忍"に任せたいんだろ?)

("俺"じゃないんだろ?)

なんだろ?

凄く、イライラする。

キュッ、と胸が痛む。

(俺じゃあ旦那の"特別"になれないのかな?)

("忍"としてしか側にいられないのかな?)

本当はそれが普通なのだろう。

忍は忍。ただの道具。

こうやって、"人"として接してもらえることすら、幸せなことなのに。

"特別"になりたいなんて、欲張りだろうか?


「ま、探すにしても、ちゃんと情報がないと捜せないからね。どんな人なの?」
胸の内の葛藤を悟られぬよう、明るい声を出す。

その問いに、幸村はまた顔を赤くして、「綺麗な人だった」と呟いた。

その目は思い出の中にいる女に向けられている。

(俺を見てよ……)


佐助はギュッと拳を握った。

一緒に居るのは俺だろ?

一緒に居るときくらいは、俺を、俺だけを見てよ。

叫びたいのを我慢して、また作り笑い。

「綺麗、ねえ。旦那って面くいだったんだな」

佐助の言いように、幸村は必死になって反論する。

「綺麗なだけではない!礼儀正しいひとだったのだ!某は、対したこともしていないのに、風鈴をお礼に、と!」

「風鈴?」

幸村の台詞を聞いた瞬間、佐助は嫌な予感がした。

子細を幸村から聞いて、予感は確信に変わった。

さあ、と血の気が引いた。





「それは、もしかしなくても、俺じゃないか……!)




その後、どんな会話を幸村としたのか覚えていない。
ふらふらとした足取りで部屋に戻り、バタリと倒れた。

(どうしよう……)

どうしようもなにも、その"女"は女装した佐助なのだから捜すもなにもない。

一番いいのは、見つからなかったと幸村に告げること。
最初からいない女なのだから、それだけで解決するのだ。

あの様子だと、しばらく幸村は落ち込むだろうけど……



ふと、佐助は思った。

("女"の俺なら、旦那は見てくれるのかな?)

くだらないことを。

救いようのない、愚かなことを。




またあの女のかっこうをして幸村に会うのは、彼の気持ちを知って騙すことでしかない。


バレたらどうする?


幸村はきっと、許してくれない。



しかし……






佐助はその考えを馬鹿らしいと笑うことはできなかった。



 ← →