風鈴
チリン……
リン……
風鈴の音が聞こえる。
それは優しく響いて、
優しすぎて悲しい音にきこえた。
それは始まり
「ん・・・」
強い日差しに、眉をしかめた。額当てが日にあたり、肌を焼くほど熱を持つ。耐えられないことではなかったが、別に耐えなければならない状況でもない。佐助はするりと額当てを外した。
しかし、今度は落ちてくる前髪が鬱陶しく、暑さへの苛立ちと相なって、舌打ちしたくなる。
佐助はとにかく、涼を得たかった。
武田の屋敷は幸村然り、信玄然り、周りの温度を一気に上げてくれる者たちがいる。
だから、屋敷から逃げ出した。町中に忍装束で行くわけにもいかず、人の気配のない神社で木陰にたたずんでいた。
・・・暑く、暇である。
着物にでも着替えて町に繰り出そうか。
冷たい菓子を腹に入れたら、少しは涼しくなるだろうか。
ああ、そうだ。風鈴を買っていこう。あの涼しげな音が、少しは武田の屋敷を過ごしやすくしてくれるはずだ。
去年あった風鈴は、大将と旦那の"例の恒例行事"で壊れちゃったんだよね。
青い色が綺麗な風鈴だった。また、青を飾ろうかとも思ったが。
ああ、でも、赤い色の風鈴を買おう。
青い色は、嫌な奴を連想する。
赤は旦那の色だ。
やることが決まると、佐助の行動は速い。
屋敷にさっと戻り、変装に使う普通の着物を探す。
しかし・・・
ない。
しまっておいたはずの着物が一着もない。
「おかしいなあ」
佐助が首を傾げていると、何処からともなく忍が現れる。
「長、着物は全部洗濯中です」
「は?」
佐助は突然の言葉に驚く。
「幸村さまのお着物を洗濯するついでと言って、女中たちが引っ張り出して洗濯を・・・申し訳ござません。長・・・あれには我々も勝てず・・・」
くっと悔しそうに忍が頭を下げる。
佐助はそれを見て苦笑いをした。
変わりものの集う武田の屋敷。並の女中ではつとまらない。忍とてたじたじする気の強い女たち。
ここで、この忍を責めるのは酷と言うものだろう。
「仕方ないなあ。何か、他に着物ないかな?」
「う・・・。それが、我々の着物も洗われていまして」
今着ている忍装束も、やっとの思いで死守したらしい。
「大変だったんだね」
と声をかけると、涙混じりにはいと頷かれた。
その様子に苦笑する佐助。
しかし、着替えがなくては町に出かけることができない。
いや・・・
別に忍装束のまま行ってもいいのだが、一度着替えてから行くと決めてしまうと、それがかなわなかったとき、どうしても行く気になれないのだ。
「むう」
と顔をしかめていると、
「あのう・・・長・・・」
恐る恐る忍が佐助に提案した。
◇◇◇◇◇◇◇
"彼女"が歩くと、誰もが振り帰った。
"彼女"が髪をかきあげると誰もが見惚れた。
(わあ、気持ち悪いなあ)
と、美女に変装した佐助は胸中で呟いた。
もとがいいせいもあり、くの一仕込みの化粧をした佐助は、老若男女が認める美しい女に見える。
しかし、中身はあくまで佐助だから、よだれを垂らさん勢いで男たちに見つめられても、気色悪いだけだ。
男たちの着物は全て女中たちの手に落ちたが、くの一の服はなんとか洗濯攻撃から免れたらしく、佐助はその中の一着を借りた。
仕事で女装することは多いので、特に抵抗もなく女物の着物に腕を通し、ようやく町に繰り出せた訳だ。
「さてと、まずは何か甘いものでも食べようかな」
風鈴はその後でいいか。
うきうきしながら甘味屋に行く途中、見覚えのある影をひとつ発見する。
(げ!)
なんとか声に出さず、心の中で絶句する。
(なんで)
タイミングが悪い。
(旦那が居るんだ?)
大将と殴りあいをしているのではなかったのか?
幸村に見付からぬようこっそりと物陰に隠れる。
・・・いや、特に隠れる必要性もないのだが、つい反射的に。
(バレないとは思うけど、バレたら・・・)
大騒ぎされそうで嫌だなあ。
そんなことを考えながら、回れ右。表通りから外れた裏道を歩いていく。
(武田の大将がいくらきちんと治めたところで、闇の部分は出るものだよな)
ごろつき共が値踏みするように佐助を睨みつけてくる。
(今ここで、こいつらを片付けても、意味はないんだろうけど)
気にいらないなあ。
この場にそぐわない見目いい佐助が、あちらも気にくわないようで・・・
(迷い込んだか弱い女性に見えるのかな)
嫌な視線をばしばしと感じる。
(あらあら、狙われちゃってるねー。俺さま)
男たちに見えぬように、隠し武器のありかを確かめる。
と、その時突然手首を捕まれた。
気配を感じなかったことを驚く。
(何者!?)
慌てて振り返ると、
(旦那ぁ!?)
真面目な顔でこちらを見つめる幸村がいた。
え?もしかしてバレた?と動揺するが、
「そなたのような若い女性が一人でここに来るのは危険でござるよ」
少し息が弾んでいた。
裏道を進む佐助・・・というか女を見て、慌てて追い掛けてきたらしい。
「え?」
(ああ、そうか。旦那にも弱い女に見えるんだな)
すぐに納得し、ありがとうございます、と声を作り頭を下げた。
(旦那ってば、親切というか、物好きというか・・・)
「此方に」
と、佐助の細い手首を引いて表参道へ向かう幸村。
ごろつきたちは幸村の出現に警戒しているのか近付いて来なかった。
人通りの多い場所に出ると、幸村は佐助のほうを見つめる。
「あの一帯は危険だ。気を付けよ」
と、至極まともな男の顔でいう。
(何? この真面目で普通の生き物)
佐助の中の幸村の印象→餓鬼・犬・お館さま愛・団子好き・天然・馬鹿。
それが、何故、こんなに凛々しいんだ?
戦場では、先ほど述べた印象が一変して、鬼神の如く強さと冷酷さを見せる彼だが。
それ以外は手間のかかる主で・・・
いや、でも、目の前にいるのは、年齢相応の落ち着きを見せる"男"で。
佐助は違和感を拭いきれない。
ぽかんと幸村を見つめていると、彼は照れた様子もなく、
「拙者の顔に何かついているか?」
と尋ねてくる。
(違う!こんなの俺が知ってる旦那じゃない!)
女に見つめられたら、頬を染めるような、そんなかわいらしい主なのに!
「いえ、何も。助けていただいたのに、不仕付けで申し訳ありませぬ。お武家さま」
平静を装おっているが、佐助は困惑している。
「よい、気にするな」
と、幸村は笑顔で返す。
子供のようなくしゃりとした笑みではなく、余裕のある大人の笑み。
(こんな顔俺見た時ない・・・!!)
佐助は一瞬目眩がした。
(俺さま、女じゃあないけど、女殺しの笑みだ)
と。
どうして、態度が違うのかと疑問があるが、これ以上幸村と一緒にいると目眩だけでは済まない気がした。
甘味買って、風鈴買って、帰ろう・・・
「ありがとうございました。私は、これで・・・」
頭を下げて立ち去る。
「次は気をつけろ」
と、背中に声をかけられた。
嗚呼。
その声にドキドキするって、俺さまやばくないか?
どうしてかこのまま、去るのは惜しい気がして。
このまま別れて、自分だとバレないようにするのが賢明だと理性は告げるのだが・・・
「・・・」
佐助は立ち止まり、くるりと振り返った。
「私としたことが、お礼をするのを忘れておりました」
つかつかと歩み寄り、もう一度頭をさげる。
「何かご馳走致します」
「よい。助けたといってもたいしたことはしていない」
まあ、確かに対したことはしていない。裏道に反れたのを戻しただけだから。
「いいえ。それでは私の気がすみませぬ。何かお返ししなければ・・・」
女の、・・・佐助の諦めない態度に負けたのか、そうか、幸村はとうなづいた。
「では・・・」
幸村は顎に手をあて、考える。
「風鈴を・・・買っては貰えぬか?」
幸村は初めて佐助の知る幸村に戻った。何処か照れたような態度に佐助は安堵を覚えた。
「風鈴・・・ですか?」
佐助は小首を傾げる。
自分もそれを買おうと思っていたのだ。
(以心伝心ってやつかねぇ)
「分かりました。では、一緒に買いに参りましょう」
にこりと佐助が笑うと、幸村が驚いた表情をした。どうかしたのかと尋ねると、「なんでもござらぬ」と顔を反らされた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
風鈴を売る屋台に辿りつく。
色とりどりの硝子が、チリンチリンと綺麗な音を奏でている。
涼しい音に、自然に顔が綻んだ。
「・・・」
そんな佐助(幸村はまだ女だと思ってるわけだが)をじっと見つめる幸村。
「どうかされましたか。お武家さま?」
視線が気になる佐助は、眉を少しさげて尋ねる。
「なんでもないでござる」
ふい、と顔を反らされて、佐助は困惑するばかりだ。
(もしかして、バレた?)
ああ、でも。わかっているなら、旦那はこういう態度は取らないだろう。
そういう確信はある。
・・・ふ、と佐助はあることに気が付いた。
(あ、そっか。俺もしかして、旦那に警戒されてるんだ)
腐っても戦国武将。
初対面の人間に己の内側を見せるわけもなく。
だからいつもと違う堅苦しい態度を見せていたのか。
うんうん、佐助は頷く。
そして同時に優越感。
このような態度の幸村を見た時がないということは、自分は余程信頼されているのだ。
喜びのあまりに笑い出しそうになるのを堪えて、
「どれがよろしいでしょうか?」
と、幸村に訊く。
幸村は無言。片手で顔を押さえている。
「・・・ああ、橙色の・・・ものを・・・」
やっとの思いで声を絞り出している幸村。
それが心配になって佐助は幸村の顔を覗き込む。
「大丈夫?具合を悪くされましたか?」
・・・の後、やってしまったと思った。
(あ〜旦那。顔が真っ赤になってら)
そうだった。
忘れていた。
佐助は今女の格好をしていて、幸村は女が苦手なのだ。
急接近に耐えられるはずもないか。
何も見なかったことにしよう。
うん。そうしよう。
佐助は
「橙色の風鈴ですね。分かりました」
布製の財布を開き、金を店主に渡した。
風鈴を店の者から受取り、顔を赤くしたままの幸村に手渡す。
「では、私はこれで」
ぺこりと頭を下げると、今度こそ後ろを振り向かずに歩き出した。
制止する声が聞こえたが、聞かぬふりをした。
◇◇◇◇◇◇
(いつもと違う旦那も見れたし、なんか良かったかも)
それに・・・・
どれだけ自分が幸村に信用されているかを、知ることができた。
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