2 少年の迷い
殺意や殺気は一瞬でも悟られれば、忍にとって命取りになる。だから忍は細心の注意を払って気配を消し、闇に紛れる。
佐助の感覚は通常とは違う。
気配を消して闇に紛れるというよりも、自身が闇と化し気配が自ずと消える。
何も考えず、ただ当たりまえのように闇に溶けてその一部となり、気配の滓すら掴ませない。佐助が優秀な忍と目される所以であるが、本人はいたってそれを特異なこととは捕えていなかった。佐助にとって、それは忍が身に付けている当たり前の技術なのだ。
潜みこんだ天井裏から佐助はじっと獲物を見つめた。
いかに屋敷の隅々まで綺麗にしているようにしているとはいえ、天井裏にまでその手は回らないから埃臭さく、白や黒で汚れていく。佐助は傍らを通り過ぎていく鼠に一瞬目をやり、すぐに獲物へと視線を戻した。
冴えた目が、中年のずる賢そうな姿をみつめる。
他国と通じ、情報を売った裏切り者。
始末する前に、必要な情報は既に他の忍が得ている。
裏切り者たる彼が、既に生きる必要性をなくしたのに今だその命があるのは、佐助の実力を試すためだ。
でなければ情報を聞き出した忍が裏切りの制裁としてとっくの昔に殺している。
佐助は極力息を殺した呼吸を闇色の装束の下で繰り返す。
空気の流れに一切の変化を与えない忍として完璧に近い呼吸。それが、常人には分からぬ程度に乱れた。
それは微かな乱れであった。だが、佐助の中で均衡を崩すには十分。
佐助は呼吸を戻そうと焦れば焦るほど、完璧に闇と化した己を人へと戻していく。
天井下にいる人物はそれに気付くほど悟いものではなかったが、焦った佐助はそれにすら考えがいたらず、頭の奥で警鐘が鳴り響いた。
――見つかる。
見つかる。即ちそれは任務の失敗だ。
佐助は体中いたる所に隠してある投器のひとつに触れる。手になじむ重さを確かめて、ごくりと唾を飲んだ。冷静さを喪った体はやけに熱く、心臓が激しく脈打っていた。
落ち着け。
いいきかせるも、自己の統制が効かない。
佐助は初めて自分の心音を聞いたと思った。
こんなにも熱く鳴り響くものなど、聞いたことがない。
どくんどくん、と更に焦らせように体の中で響くそれに明瞭だった視界が霞む気がした。
苦内を持つ手が痙攣したかのように震える。
佐助はそれを抑えつけ、奮いたてるように叱詑する。
――殺せ。
それが任務だ。
人を殺すなど容易いはずだ。
血を吐くほどので修行で、暗殺の仕方を学んだ。
何処をどうすれば、静かに速やかに人が殺せるか。
それを今ここで実践すればいい。
それは欠伸が出るほど簡単なはず。
動け。
動け。
動くんだ。
油汗が流れた。
手は痙攣しつづけ、このままでは苦内を得物めがけて投げたところで当たりっこない。
苦内はこんなにも掌に熱く、痛いものを伝えるものだったか。佐助は、ずしりとした存在感を示すそれに恐怖すら覚えた。固い鉄の感触。慣れ親しんだもののはずが、今手にあるものは何かの化け物に思えてならなかった。
これでひとを殺す。
ひとを殺さねばならない。
この、鉄で。
刃で。
ただ、ひとを殺すためだけにある凶器で。
ふいに、目の前がかすんだ。
その原因が分からず佐助は動揺し現状を把握しようと目に触れる。もしかしたらこの場所に暗殺を警戒して気体の毒で満ちているんのかもしれないと佐助は内心が焦ったが、指先に触れると、熱く、濡らしてくるものにこれは己が流した涙なのだと情けない気持ちとともに気付いた。
ひとを殺す恐怖から流れた涙。
ともすればがちがちと震えて鳴り響きそうな歯を、佐助はぎゅっと噛みしめた。
――俺は忍なのだ。
決意し、誓った。
逃げない。
忍として生きる、と。
続