鍵と束縛
「旦那が悪いんだよ?」
赤い髪が、赤い光に照らされる。差し込んでくる光に長い影ができた。人影は、幸村を飲み込むように、深く、暗い。
格子の冷たい威圧感が赤毛の男の狂気に被さり、幸村の目に、闇を見せる。夜の純粋な暗闇とは程遠い、混沌とした真暗。
幸村の背中にぞくりと冷たいものが走る。
震えが全身を包みこみそうで、幸村は己の体を抱きしめた。
吸い込む空気やけに冷たい。肺から全身に凍み渡り、その寒さに死の錯覚を覚える。
影に覆われて。そのまま影に食らわれてしまいそうで、這い上がる恐怖を否定するように、幸村はそんなわけないと首をふった。
「だって。俺にこんな感情を植え付けたのはあんただ」
佐助は暗い表情で胸を掴む。
強く。かきむしるように。訴える瞳に、揺らぎをうつして。
「忍にこころなんかいらないのに……」
あんたはそれを俺に与えて。
責任を取ってよ。
どうすればいいんだ。なあ?
「あんたは誰にだって笑いかける。鬼にも竜にも右目にも風来坊にも毛利の旦那にだって……」
俺はあんたの特別じゃない。
俺じゃあんたの特別になれない。
あんたは俺の特別なのに、卑怯じゃないか。
「一度はさ、あきらめようと思ったんだよ?」
でも、あなたは俺の心が離れていくのを見透かしたように、笑いかけるんだ。鎖をかけるように。他のものを見つめられないように。あなたしか目に入らないように。
そのときだけは、自分に対し、やけに執心らしいものを見せてきて(それは己の思い込みなのかもしれないけれど)まさか、と思い、それに再びあなたに囚われる。
そうすると、あなたはふいと俺の興味を失ったかのように、また別の誰かの気を惹くように俺以外のものに笑いかける。
「わかんないよ。なあ、あんたはどうしたいんだ?誰がすきなんだ?」
佐助は暗い瞳で問う。ぞっとするような冷たさをおびたそれを、幸村は直視したくないのに、その視線から逃れられない。
「知らぬ……知らぬ。そんなもの……!」
「自分の心なのに?」
佐助は嘲るように笑い、すっと指をのばす。
幸村はそれに小動物が震えるようなおびえをみせるが、佐助はそれにかまわず、指をのばす。
とん、とちいさく音をたてて佐助のしなやかな指が、幸村の胸に触れる。
「あんたの中にいるのは誰なの?」
誰、と聞きながらその中にいるのは自分ではないと信じて疑わない様子。
佐助の瞳のなかにある暗さの正体は諦観。
すべてをあきらめ、最早すべてを手放した、虚無の瞳。
闇色の絶望の淵をのぞきこむような悪寒が、幸村を襲う。快活に笑い、炎の気配を宿していた武将とは思えぬか弱い姿。
佐助はそれを笑っているのか、それとも何もかもあきらめた己自身を笑っているのか、薄い笑みを肉薄の唇に貼り付けている。
「俺は……誰かを好くなど……」
途切れがちに続く言葉。震えている声が己のものと思えなくて、幸村は愕然とする。それでも、途中で全てをのみこむことはできず、喉の奥で声がひっくり返りそうになるのを抑え、佐助に恐る恐る告げる。
「俺は、お屋形さまの天下を見届けるまで、そのような些事に囚われることができぬゆえ……」
佐助の片方の眉がつりあがる。そして、佐助はくつくつと喉をふるわして笑い始めた。
「些事か……確かに些事だね。こんなものに狂って、こんなことしてる俺は些事に囚われた愚か者だ」
佐助の狂ったように笑う姿に、幸村はごくりと唾を飲んだ。
佐助が声をだして笑う姿は初めてみるし、鋭い棘となにもかも飲み込むような異様な空気を発する笑い方をする人間を見るのも初めてのことであった。
しばらくして、笑うことをやめた佐助は、「もう、いいよ」と小さくもらした。
「あんたはどうしたって、俺のことをおもうことはありえない」
こんなことしたって、無駄なんだろう。
諦めをこぼし、佐助は懐から取りだしたものを幸村に放る。
「ね、それで俺を殺してよ」
布にくるまれていたものが、はらりと布がめくれ、中身をあらわにさせる。
幸村の目に飛び込んできたのは、鈍い輝きを見せる、短刀。
佐助は薄い笑みを崩さぬまま、悲しげな期待をこめ、幸村をみつめていた。
2007.06.19
四既